徳川綱吉の関連年表と中学歴史での重要ポイント

徳川綱吉って何した人

徳川綱吉といえば「生類憐みの令」

徳川綱吉は徳川第5代将軍で、生類憐みの令を出した将軍として教科書では出てきます。
ここでは綱吉の時代の出来事を年表形式にまとめたので、参考にしてみてください。

 

徳川綱吉の関連年表

西暦 徳川綱吉に関する出来事 その他の出来事
1646年 誕生  
1657年 明暦の大火
1669年 シャクシャインの戦い
1680年 徳川5代将軍となる  
1685年 生類憐みの令を出す 1709年に廃止されるまで続く
1690年 湯島聖堂を建立
1692年 世間胸算用(井原西鶴)
1701年 赤穂事件
1702年 おくのほそ道(松尾芭蕉)
1703年 曽根崎心中(近松門左衛門)
1707年 宝永大噴火(富士山の大噴火)
1709年 死去

 

徳川綱吉の父は3代将軍家光

徳川綱吉は3代将軍家光の子として1646年に誕生しました。

 

年齢が近い人物には井原西鶴(1642年生まれ)、松尾芭蕉(1644年生まれ)、近松門左衛門(1653年生まれ)など元禄文化の中心となった人がいます。

 

綱吉で最初に覚えておきたいのは生類憐みの令(1685年から1709年)です。
極端な動物愛護令で、特に犬を大切にせよというものでした。

 

酒を飲んで酔っ払い、犬に乱暴するものもいるという理由で1696年には「大酒飲み禁止令」というものまで出されました。

 

このため犬公方とも呼ばれています。
公方(くぼう)とは将軍の別称です。

 

また、綱吉は孔子をまつる湯島聖堂を建立し、武士に学問(朱子学)を奨励しました。
湯島聖堂は、いまでは受験生が合格祈願に訪れる場所として有名です。

 

物価上昇を招く

幕府が財政難に苦しんでいたため、綱吉は貨幣の質を落とし数量を増やして発行しました。
その結果、物価の上昇を招くこととなりました。

 

生類憐みの令や物価上昇を招いたことで庶民の評判はあまり良いものではありませんでした。

 

忠臣蔵のときの将軍が綱吉

年末年始の時代劇特番などでおなじみの忠臣蔵のモデルとなったの赤穂事件が起きたのが綱吉が将軍のときです。

 

忠臣蔵では、江戸城内で刃傷沙汰を起こした浅野内匠頭が切腹を命じられるのですが、この切腹を命じた将軍が徳川綱吉というわけです。

 

また、綱吉と同時代の人物には水戸黄門のモデルとなった徳川光圀(1628-1701年)もいます。

 

新井白石の政治は綱吉のあと

新井白石による政治改革が行われたのは徳川6代将軍、7代将軍時代のことですので、徳川綱吉のあとの時代となります。ここで生類憐みの令も廃止されています。

 

徳川綱吉の年表確認問題

次の出来事を古い順に並べよ。
  • (ア)徳川綱吉が湯島聖堂を建立
  • (イ)徳川綱吉が生類憐みの令を出す
  • (ウ)宝永大噴火
  • (エ)赤穂事件がおこる
  • (オ)おくのほそ道刊行

  • (イ)徳川綱吉が生類憐みの令を出す(1685)
  • (ア)徳川綱吉が湯島聖堂を建立(1690)
  • (エ)赤穂事件がおこる(1701)
  • (オ)おくのほそ道刊行(1702)
  • (ウ)宝永大噴火(1707)

徳川綱吉が亡くなる少し前に富士山の噴火(宝永大噴火)が起きています。