楠木正成や足利尊氏の力を借りて鎌倉幕府を滅ぼした後醍醐天皇が行った政治が建武の新政です。(建武とは年号のこと。)
建武の新政で後醍醐天皇は公家を重視したために、武士の不満が固まります。その後、足利尊氏の挙兵により、後醍醐天皇は吉野(奈良)に逃れ、建武の新政は終わりました。
足利尊氏に追われ吉野(奈良)に逃れた後醍醐天皇が開いたのが南朝。
足利尊氏が京都に開いた北朝とは60年間対立することとなります。
南朝 | 北朝 |
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吉野(奈良) | 京都 |
後醍醐天皇が立てた | 足利尊氏が立てた |
南北朝の対立は約60年間続き、3代将軍足利義満のときに合一します。
西暦 | 足利義満に関する出来事 | その他の出来事 |
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1358年 | 誕生 | |
1387年 | 室町に幕府を移す | |
1392年 | 南北朝の合一 | |
1394年 | 太政大臣となる | |
1397年 | 金閣寺建立 | |
1404年 | 日明貿易が始まる | |
1408年 | 死去 |
室町幕府を開いたのは足利尊氏ですが、幕府の体制を固めたのは3代将軍足利義満。
室町時代と呼ばれるようになったのも義満が京都の室町で政治を行ったからです。また、室町文化を代表する金閣寺を建てたことも忘れてはなりません。
太政大臣でもあり、日宋貿易に力を入れた人物は?
→ 【正解】平清盛。
「太政大臣であること」「中国との貿易に力を入れたこと」は、足利義満と平清盛は同じですが、足利義満は日明貿易、平清盛は日宋貿易です。