


中学歴史で習う江戸時代(1603年の幕府成立から、1867年の大政奉還まで)に活躍した重要人物を一覧表形式でまとめました。260年以上続く平和な時代の中で、政治を改革した将軍や老中、文化を発展させた町人たちを整理して覚えましょう。
※西郷隆盛や坂本龍馬など、幕府を倒して新しい時代を作った幕末の志士たちは、「明治維新の人物」の記事で詳しく紹介します!
| 徳川家康 | とくがわいえやす | 関ヶ原の戦いに勝利し、1603年に江戸幕府を開いた初代将軍。 |
|---|---|---|
| 徳川家光 | とくがわいえみつ | 第3代将軍。大名に参勤交代を義務付け、キリスト教の禁止や鎖国を完成させた。 |
| 徳川綱吉 | とくがわつなよし | 第5代将軍。「生類憐みの令」を出した。この頃、上方を中心に元禄文化が栄える。 |
| 徳川吉宗 | とくがわよしむね | 第8代将軍。「享保の改革」を行い、目安箱の設置や公事方御定書を定めた。 |
| 松平定信 | まつだいらさだのぶ | 老中。「寛政の改革」を行い、厳しい倹約令や朱子学以外の学問の禁止などを命じた。 |
| 水野忠邦 | みずのただくに | 老中。「天保の改革」を行い、株仲間の解散などを命じたが、反発を招き失敗した。 |
| 徳川慶喜 | とくがわよしのぶ | 第15代将軍(最後の将軍)。1867年に政権を朝廷に返す「大政奉還」を行った。 |
| 近松門左衛門 | ちかまつもんざえもん | 元禄文化の人物。義理と人情の板挟みになる町人を描いた人形浄瑠璃の台本を書いた。 |
| 井原西鶴 | いはらさいかく | 元禄文化の人物。町人の暮らしやお金儲けなどをリアルに描いた「浮世草子」を書いた。 |
| 松尾芭蕉 | まつおばしょう | 元禄文化の人物。各地を旅して『奥の細道』を書き、俳諧(俳句)を芸術として大成した。 |
| 本居宣長 | もとおりのりなが | 仏教や儒学が入る前の、日本古来の精神を研究する「国学」を大成した(『古事記伝』)。 |
| 杉田玄白 | すぎたげんぱく | オランダ語の解剖書を前野良沢らと翻訳し、『解体新書』として出版した(蘭学)。 |
| 伊能忠敬 | いのうただたか | 全国を自分の足で測量して歩き、初めて日本全国の正確な地図(大日本沿海輿地全図)を作った。 |
| ペリー | ぺりー | 1853年に黒船(アメリカの艦隊)を率いて浦賀に来航し、日本に開国を迫った。 |
| 井伊直弼 | いいなおすけ | 大老。天皇の許可なく日米修好通商条約を結び、反対派を処罰したが暗殺された(桜田門外の変)。 |
徳川家康が江戸(現在の東京)に幕府を開いてから、約260年間も大きな戦争が起きなかった平和な時代です。幕府は「士農工商」という厳しい身分制度を敷き、「鎖国」によって外国との関わりを厳しく制限して、自分たちの権力を安定させました。
しかし、時代が進むにつれて幕府の財政が苦しくなり、何度も「改革」が行われます。そして幕末、ペリーの黒船来航によって無理やり国を開かされたことで日本中が大混乱に陥り、ついに江戸幕府は倒れ、新しい明治の時代へと向かっていきます。
戦乱の時代が終わったことで、活躍する人物の顔ぶれが「武将」から「政治家(将軍や老中)」へと変わります。また、農業や商業が発展して豊かになったことで、歴史上初めて町人(商人や職人)が文化の主役となり、近松門左衛門や松尾芭蕉といった文化人が多数登場しました。
後半になると、日本のルーツを探る「国学」や、西洋の進んだ科学を学ぶ「蘭学」の学者たちも活躍します。そして幕末には、ペリー来航を機に、新しい近代国家の建設を目指す若き志士たちが次々と歴史の表舞台に立つようになります。
次の説明にあてはまる人物を答えよ。上に掲載した表からランダムに5問が出題されます。
| 説明 | 解答 |
|---|---|
| 老中。「天保の改革」を行い、株仲間の解散などを命じたが、反発を招き失敗した。 | 水野忠邦 |
| 第15代将軍(最後の将軍)。1867年に政権を朝廷に返す「大政奉還」を行った。 | 徳川慶喜 |
| 元禄文化の人物。義理と人情の板挟みになる町人を描いた人形浄瑠璃の台本を書いた。 | 近松門左衛門 |
| 仏教や儒学が入る前の、日本古来の精神を研究する「国学」を大成した(『古事記伝』)。 | 本居宣長 |
| オランダ語の解剖書を前野良沢らと翻訳し、『解体新書』として出版した(蘭学)。 | 杉田玄白 |
赤い部分をクリックすると正解が表示されます。
何回も挑戦してみてください。
第8代将軍の徳川吉宗は、財政難に陥っていた幕府を立て直すため「享保の改革」を行いました。自ら木綿の服を着て質素倹約をアピールし、新田開発を進めてお米の収穫量を増やそうとしました。
また、庶民の意見を政治に取り入れるために「目安箱」を設置し、そこから出た意見をもとに、貧しい人のための無料の病院(小石川養生所)を作りました。
さらに、裁判の基準となる法律「公事方御定書(くじかたおさだめがき)」をまとめるなど、実用的で理にかなった政治を行った名君として知られています。
杉田玄白は江戸中期の医者です。当時の日本の医学は中国から伝わったものが中心でしたが、玄白はオランダ語の医学書『ターヘル・アナトミア』を手に入れます。実際に刑死した人の解剖を見学し、その本に描かれている人間の内臓の図が、あまりにも正確であることに衝撃を受けました。
そこで前野良沢ら仲間とともに、辞書もない中で暗号を解読するように苦労してオランダ語を翻訳し、数年がかりで『解体新書』として出版しました。これがきっかけで、オランダ語を通して西洋の進んだ学問を学ぶ「蘭学」が日本で大流行することになります。
伊能忠敬は、もともとは千葉県の商人でしたが、天文学や測量に強い興味を持ち、なんと50歳を過ぎてから江戸に出て本格的に学問を始めました。
「地球の大きさを知りたい」という情熱から、実際に歩いて距離を測ることを思い立ち、幕府の許可を得て17年もの歳月をかけて日本全国の海岸線を歩き続けました。
彼の死後、弟子たちによって完成された「大日本沿海輿地全図(だいにほんえんかいよちぜんず)」は、現代の衛星写真と重ねてもほぼ誤差がないほど正確で、のちにこれを見たヨーロッパ諸国の人々を大いに驚かせました。