【中学歴史】藤原氏のしたことを時代別に総まとめ!コレでごちゃごちゃを解決

【中学歴史】藤原氏のしたことを時代別に総まとめ!コレでごちゃごちゃを解決

歴史の授業で飛鳥時代から平安時代にかけて勉強していると、必ずぶつかる大きな壁があります。それが「藤原(ふじわら)氏」の存在です。

 

「中臣鎌足(藤原鎌足)」「藤原道長」「藤原頼通」……さらに「奥州藤原氏」まで登場して、「結局、どの藤原さんが、いつ、何をしたの!?」と頭がごちゃごちゃになりますよね。

 

でも安心してください!藤原氏がしたことは、「時代」と「3人の超重要人物」に分けて整理するだけで、驚くほどスッキリと理解できるようになります。

 

この記事では、テストで必ず狙われる「藤原氏のしたこと」を時代別・人物別にわかりやすく総まとめします。短時間で効率よく覚えられる「タイパ最強のチート暗記法」も紹介するので、この記事で藤原氏の「ごちゃまぜ」を完全に解決して、定期テストの点数を一気にアップさせましょう!

 

 

そもそも藤原氏とは?まずは藤原氏の全体像をつかもう

具体的な人物を見る前に、まずは「藤原氏ってそもそもどんな一族なの?」という全体像をサクッとつかんでおきましょう。

 

中大兄皇子の相棒「中臣鎌足」から始まる、天皇をサポートし続けた最強の一族

藤原氏のスタート地点は、飛鳥時代にさかのぼります。

 

中大兄皇子(なかのおおえのおうじ)と一緒に、政治を牛耳っていた蘇我氏(そがし)を倒した中臣鎌足(なかとみのかたまり)という人物が、死の直前に天皇から「藤原」という名字をもらったのが始まりです。

 

藤原氏天皇の妻として自分の娘を嫁がせることで天皇の親戚となり、「天皇の一番近くで政治をサポートするポジション」を代々受け継いで、権力を握り続けた「最強の貴族一族」なのです。

 

飛鳥時代から平安時代まで!時代ごとに「したこと」が違う

藤原氏が歴史の表舞台で活躍した期間は、飛鳥時代から平安時代の終わりまでと非常に長いです。

 

そのため、「藤原氏のしたこと」をひとまとめにして覚えようとすると、必ずパニックになります。テストで点数を取るための最大のコツは、「飛鳥時代の鎌足」「平安時代の道長・頼通」というように、時代とセットで切り分けて覚えることです。

 

【時代別】テストに出る「藤原氏のしたこと」と3人の超重要人物

それでは、歴史のテストで絶対に外せない「3人の藤原氏」がしたことを見ていきましょう!

 

【飛鳥時代】藤原(中臣)鎌足がしたこと:蘇我氏を倒し「大化の改新」を行う

飛鳥時代(645年〜)

藤原氏の初代である鎌足(かたまり)の最大の業績は、新しい国づくりをスタートさせたことです。

 

したこと 中大兄皇子と協力して、権力をふるっていた蘇我入鹿(そがのいるか)を暗殺した(乙巳の変 / いっしのへん)。
その後の影響 天皇中心の国づくりを目指す政治改革である「大化の改新(たいかのかいしん)」を進め、日本の新しいルールづくりに大きく貢献しました。

 

【平安時代】藤原道長がしたこと:「摂関政治」の全盛期と「望月の歌」

平安時代の中ごろ(11世紀はじめ)

鎌足から約350年後、藤原氏の権力を「これ以上ない!」というトップのレベルまで引き上げたのが道長(みちなが)です。

 

したこと 自分の娘を次々と天皇のきさき(妻)にし、生まれた子ども(自分の孫)を天皇にすることで、「摂関政治(せっかんせいじ)」の全盛期を築きました。
テストのポイント 権力の絶頂期に「この世をば わが世とぞ思ふ 望月の 欠けたることも なしと思へば」という有名な和歌を詠みました。また、『源氏物語』の作者である紫式部(むらさきしきぶ)をサポートしたことでも知られています。

 

【平安時代】藤原頼通がしたこと:宇治に「平等院鳳凰堂」を建てる

平安時代の中ごろ(道長のすぐ後)

道長の息子である頼通(よりみち)も、父親と一緒に摂関政治の全盛期を支えました。しかし、彼がテストに出るポイントは「政治」よりも「文化(建物)」です。

 

したこと 京都の宇治に「平等院鳳凰堂(びょうどういんほうおうどう)」を建てました。
テストのポイント 当時は「念仏を唱えれば、死後に極楽浄土へ行ける」という浄土信仰(じょうどしんこう)が流行していました。頼通は、極楽浄土の美しさをこの世に再現するために、この豪華なお寺を建てたのです。(※現在の10円玉に描かれている建物です!)

 

【テストの罠】「奥州(おうしゅう)藤原氏がしたこと」との違いを整理!

ここまで覚えたら完璧!……と言いたいところですが、歴史の先生がテストで必ず仕掛けてくる「罠(ひっかけ問題)」があります。それが「奥州藤原氏」です。

 

京都の藤原氏とは別物?東北地方で栄えた「奥州藤原氏」

平安時代の終わりごろ(11世紀後半〜12世紀末)

道長や頼通たちが京都でぜいたくな暮らしをしていた頃、遠く離れた東北地方(奥州・現在の岩手県など)で、独自の力を持っていたもう一つの藤原氏がいました。これが「奥州藤原氏」です。

 

奥州藤原氏は、東北地方でたくさん採れた「金」や「馬」を使って莫大な富を築き、京都の文化を取り入れながら、約100年間にわたって東北地方を支配しました。京都の藤原氏とは別のグループだと考えておきましょう。

 

中尊寺金色堂(ちゅうそんじこんじきどう)を建て、源義経をかくまった

奥州藤原氏がしたことで、テストに出るのは以下の2つです。

 

したこと【1】 岩手県の平泉(ひらいずみ)に、金箔で覆われた豪華なお寺「中尊寺金色堂(ちゅうそんじこんじきどう)」を建てた。
したこと【2】 源頼朝に追われて逃げてきた弟の源義経をかくまった。(しかし、最終的には頼朝の圧力に負けて義経を倒し、奥州藤原氏も鎌倉幕府によって滅ぼされてしまいます。)

 

まとめ:タイパ最強!「藤原氏のしたこと」チート暗記法とテスト対策

いかがでしたか?「誰が何をしたか」がスッキリ整理できたのではないでしょうか。
最後に、テスト直前に使えるタイパ最強の暗記リストとクイズを用意しました。

 

ごちゃまぜ注意!藤原氏の重要語句・時代別チェックリスト

テストの直前は、この表だけを何度も見返して頭に叩き込みましょう!

人物名 時代 最重要キーワード(したこと)
中臣(藤原)鎌足 飛鳥時代 蘇我氏を倒す、大化の改新
藤原道長 平安時代 摂関政治の全盛期、望月の歌
藤原頼通(道長の息子) 平安時代 京都に平等院鳳凰堂を建てる
奥州藤原氏 平安時代末期 東北(平泉)に中尊寺金色堂を建てる

 

【超頻出のひっかけ注意】

  • 平等院鳳凰堂」を建てたのは道長ではなく頼通
  • 中尊寺金色堂」は京都ではなく東北(岩手県)!

 

【実力試し】藤原氏がしたことの一問一答クイズ!

完璧に整理できたか、最後にクイズで確認しましょう。

 

第1問:飛鳥時代、中大兄皇子とともに蘇我入鹿を暗殺し、のちに藤原の姓をもらった人物は誰?

中臣鎌足(なかとみのかたまり) ※藤原鎌足でも正解

 
第2問:自分の娘を次々と天皇の妻にし、「この世をば わが世とぞ思ふ…」という歌を詠んだ人物は誰?

藤原道長(ふじわらのみちなが)

 
第3問:第2問の人物が行った、天皇が幼い時や大人の時に補佐として政治の実権を握る政治の仕組みを何という?

摂関政治(せっかんせいじ)

 
第4問:第2問の人物の息子で、京都の宇治に平等院鳳凰堂を建てた人物は誰?

藤原頼通(ふじわらのよりみち)

 
第5問:平安時代の終わりごろ、東北地方の平泉を拠点に栄え、中尊寺金色堂を建てた一族を何という?

奥州藤原氏(おうしゅうふじわらし)

 

全問正解できましたか?

 

歴史のテストでは、「藤原氏のしたこと」を正確に区別できるかどうかが高得点のカギになります。この記事のチェックリストを活用して、自信を持ってテストに臨んでください!