【選択肢】
倒幕運動の中心人物の一人が西郷隆盛です。
まずは江戸幕府滅亡に至る流れを整理しておきます。
1867年 | 大政奉還 | 徳川慶喜が政権を朝廷に返上 |
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1867年 | 王政復古の大号令 | 天皇中心の新政府樹立 |
1868年 | 戊辰戦争 | 旧幕府軍と新政府軍の戦い |
倒幕運動の中心となっていたのが薩摩藩と長州藩で、薩摩藩に西郷隆盛や大久保利通がいました。武力による倒幕を怖れた15代将軍徳川慶喜は政権を朝廷に返上します。
しかし、天皇の下で大名として実権を持ち続けようとした徳川慶喜に反発し、薩長が中心となって行ったのが王政復古の大号令です。将軍を廃止し、新政府を樹立するというものです。
そこで、新政府が幕府の領地を取り上げようとしたことで、起こったのが戊辰戦争。この戊辰戦争のときに新政府側の指揮官だったのが西郷隆盛です。
戊辰戦争は、鳥羽伏見の戦いを経て、江戸城をめぐる攻防となります。そこで、交渉したのが新政府側の西郷隆盛と旧幕府側の勝海舟でした。
話し合いにより、徳川慶喜を助けることと引き換えに、江戸城を新政府軍に引き渡すこととなりました(江戸無血開城)。
【正解】
(ア) 勝海舟
【選択肢】
明治政府内で朝鮮の扱いをめぐり対立が起こります。
武力を持ってでも開国させようという考えと、いまは朝鮮のことよりも新政府としての国内体制を築くことを優先すべきという考え方です。
西郷隆盛は武力を持ってでも開国させようという考えでした。
これには士族の不満を外に向けさせようという狙いもありました。
西郷らの考えに反対したのは岩倉使節団として欧米視察から帰国した大久保利通や木戸孝允でした。欧米列強の体制を見てきたことで、日本も国内体制を強化すべきと考えたのです。
大久保と西郷は同じ薩摩出身で子どものころから知っている仲でしたが、ここでは意見が分かれます。結局、西郷の考えは採用されず、政府を去ることとなりました。
【正解】
(ア) 朝鮮
【選択肢】
新政府になり士族の特権が廃止されます。
廃刀令により刀を奪われただけでなく、秩禄処分により収入も減らされます。
士族の中には慣れない商売に手を出し、失敗するものもいました。
(士族の商法といわれています)。
こうして各地で士族の不満が高まり、新政府に対して反乱を起こすものもいました。
征韓論に敗れ薩摩に戻っていた西郷隆盛の下にもこうした士族があつまります。
西郷が士族に押される形で兵を挙げることとなったのが西南戦争です。
政府軍に敗れた西郷は自害することとなってしまいました。
【正解】
(ウ) 西南戦争