【選択肢】
鎌倉にあるから鎌倉幕府と呼ばれるように、室町幕府は室町にあるからそう呼ばれます。
ただ、鎌倉の場所はわかっても、室町がどのにあるのかいまいちピンとこない人も多いのではないでしょうか。
特に首都圏など関西圏以外に住んでいる人にとってはそうですよね。
室町があるのは京都です。
で、ここに豪華な邸宅を建てて、政治を行ったのが足利義満です。
義満は3代将軍で、足利初代将軍の尊氏の孫にあたります。
この邸宅には全国各地から取り寄せた花を植えたりしていました。
なので、花の御所なんて呼ばれたんですね。
なお、足利尊氏が将軍のときは、まだ南朝と北朝にわかれて動乱が続いていました。これを合一し、幕府としての体制が安定したのが義満の時代です。
政治的に安定したので、金閣寺を建立したりする余裕もあったというわけです。
【正解】
(ウ) 花の御所
【選択肢】
足利義満の功績として出てくるのが南北朝を合一させたこと。
初代将軍の尊氏が支えたのが北朝(京都)、奈良に逃れた後醍醐天皇が開いたのが南朝です。この南北朝の争いは60年近く続きました。
最終的には北朝の勢力が有利に。
そこで、義満が南朝の足下を見て働きかけたというわけです。
「今後は交互に天皇を出せばイイ、まずは北朝から天皇を出すので、三種の神器を持って戻ってきたら」的なことを持ちかけて、最終的にはこの約束を反故にしてしまったわけです。
【正解】
(ウ) 南朝
【選択肢】
義満のフトコロを支えたのが貿易にによる利益です。
日本から輸出したのは、刀剣や硫黄。
輸入したのは、銅銭(明銭)、生糸、陶磁器など。
貿易相手は明です。
ただし、明は貿易を開始するにあたり日本に倭寇の取り締まりを求めてきました。
倭寇というのは当時の海賊。
朝鮮や中国で貿易船を襲ったり、略奪行為を繰り返していました。
倭寇を取り締まるには正規の貿易船と区別しなければなりません。
そこで、使用したのが勘合と呼ばれる割り札。
文字が書かれた札を半分に割って、それぞれ(日本と明)が持つことにしました。この割り札をあわせて正規の貿易船が確認するというわけです。
義満が明に対して日本国王と名乗っていたことも覚えておきましょう。
【正解】
(ア) 勘合