中学歴史をまとめて学ぶ(年表からネット問題集まで)

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  • 奈良時代のまとめ年表(中学歴史)
    奈良時代の年表とポイント唐の長安にならって作られたのが平城京です。平城京に都を移したときから奈良時代が始まります。この時代には天皇中心の国造りの中で戸籍や税制などが整備されていきます。政治を安定させるために仏教が積極的に取り入れられたのも奈良時代の特徴です。中学歴史年表(奈良時代)710年平城京に都を移す712年古事記720年日本書紀723年三世一身法741年聖武天皇が国分寺を建てる743年墾田永年私財法752年東大寺大仏784年長岡京に都を移す794年平安京に都を移す飛鳥→奈良(710〜794)→平安(794〜1185)奈良時代の前は飛鳥時代、奈良時代の後は平安時代です。定期テストでのポイント奈良時代というのは奈良の平城京に都が開かれてから京都の平安京に都が移るまでの約80年間のことです。国のしくみに関する部分が定期テストではポイントとなるので覚えておきましょう。口分田…6歳以上の男女に割り当てた農地税…租、調、庸(飛鳥時代から続く)墾田永年私財法…開墾した農地を私有地として認める租…口分田からの収穫の一部(3%)、調…各地の特産物(絹、糸など)、庸…労役の代わりに布奈良時代の天皇一覧第43代元明天皇げんめい女性平城京に遷都第44代元正天皇げんしょう女性第45代聖武天皇しょうむ男性第46代孝謙天皇こうけん女性第47代淳仁天皇じゅんにん男性第48代称徳天皇しょうとく女性第46代孝謙天皇と同一人物第49代光仁天皇こうにん男性第50代桓武天皇かんむ男性平安京に遷都奈良時代は女性の天皇が多いのがひとつの特徴です。テストで出てくるのは平城京に遷都した元明天皇、国分寺を建てた聖武天皇、平安京に遷都した桓武天皇です。年表確認問題(奈良時代)次の出来事を起きたのが古い順に並べなさい。(ア) 長岡京に都を移す(イ) 平安京に都を移す(ウ) 東大寺大仏が完成(エ) 聖武天皇が国分寺を建てる年表確認問題の答えと解説政治を安定させるために仏教を取り入れ、国ごとに国分寺を建て、奈良には東大寺を建てました。答え.(エ)→(ウ)→(ア)→(イ)奈良時代の年表ポイントチェックポイントを隠す年出来事710年平城京に都を移す712年古事記720年日本書紀723年三世一身法741年聖武天皇が国分寺を建てる743年墾田永年私財法752年東大寺大仏784年長岡京に都を移す794年平安京に都を移す隠されたポイントはクリックすると再表示されます。
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  • 中学歴史年表の一問一答チェック(飛鳥、奈良、平安時代)
    飛鳥、奈良、平安時代の年表一問一答飛鳥時代、奈良時代、平安時代に関する中学歴史の年表です。一問一答形式でのチェック問題も作成しているので、定期テスト前などにチェックしてみてください。中学歴史年表(飛鳥、奈良、平安時代)年代出来事関連ポイント589年隋が中国を統一593年聖徳太子が摂政になる推古天皇の摂政となった603年冠位十二階の制定604年十七条の憲法の制定「和をもって貴しとなし」607年小野妹子が遣隋使になる聖徳太子は対等な外交を隋に求めた618年隋がほろび、唐がおこる645年大化改新(乙巳の変)中大兄皇子、中臣鎌足らによる663年白村江の戦い672年壬申の乱大海人皇子と大友皇子の戦い676年新羅が朝鮮半島を統一新羅が百済、高句麗を滅ぼす694年藤原京に都を移す701年大宝律令ができる唐の律令制度にならったもの710年平城京に都を移す唐の都「長安」にならったもの712年古事記ができる720年日本書紀ができる723年三世一身の法ができる743年墾田永年私財法ができる752年東大寺の大仏ができる聖武天皇による784年長岡京に都を移す794年平安京に都を移す桓武天皇による894年遣唐使が停止菅原道真の進言による935年平将門の乱平将門は新皇を名乗る939年藤原純友の乱960年宋が中国でおこる1016年藤原道長が摂政になる摂関政治の全盛期1051年前九年の役1083年後三年の役1086年白河上皇が院政を始める1156年保元の乱1159年平治の乱平清盛と源義朝の戦い1167年平清盛が太政大臣になる1185年平氏が滅びる壇ノ浦の戦い飛鳥、奈良、平安時代の年表一問一答チェック次の出来事が起きた年を答えよ。問題解答問題1答え1問題2答え2問題3答え3問題4答え4問題5答え5赤い部分をクリックすると正解が表示されます。ちがう問題で確認ココをクリックすると問題が再作成されます何回も挑戦してみてください。年表一問一答チェックページ鎌倉、南北朝、室町時代の一問一答鎌倉幕府の成立〜応仁の乱までの鎌倉時代、南北朝時代、室町時代に関する中学歴史年表の一問一答です。年表をチェックしてから、後半の問題に挑戦してみてください。承久の乱,御成敗式目,文永の役,弘安の役,建武の新政の年号は?戦国時代の一問一答戦国時代と世界の動きに関する中学歴史年表の一問一答です。鉄砲伝来やキリスト教の伝来が戦国時代の歴史にも影響を与えています。年表での前後関係など、しっかり覚えておきましょう。コロンブスが西インド諸島に到達,種子島に鉄砲伝来,長篠の戦いなど。江戸時代の一問一答江戸時代に関する中学歴史年表の一問一答です。三大改革(享保の改革、寛政の改革、天保の改革)などの前後関係を覚えておきましょう。禁教令,武家諸法度,参勤交代が定められる,島原・天草の一揆,鎖国が完成,シャクシャインの戦い,正徳の治など。
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  • 中学歴史「古墳時代〜奈良時代」のネット問題集
    古墳時代〜奈良時代のオンライン問題古墳時代から奈良時代にかけての中学歴史の定番問題集です。中学歴史の問題集(古墳〜奈良時代編)問題正解倭(日本)が新羅と唐の連合軍に敗れた戦いはの名は?白村江の戦い中大兄皇子が即位して( )天皇となった天智(天皇)701年に制定されたわが国最初の本格的な法令は?大宝律令7世紀初めに中国全土を統一した国(王朝)は?唐農民の貧しい様子がわかる山上憶良の歌は?貧窮問答歌赤い部分をクリックすると正解が表示されます。ちがう問題で確認ココをクリックすると問題が再作成されます何回も挑戦してみてください。中学歴史:古墳時代〜奈良時代の定番問題集問題正解「和の五王」のうち「武」は( )天皇と考えられている雄略(天皇)中国(隋)で行われた試験により役人を採用する制度を何という?科挙邪馬台国についての記載がある中国の歴史書は?魏志倭人伝(※1)邪馬台国の女王の名は?卑弥呼(※2)推古天皇の摂政として国づくりを手伝った人物は?厩戸皇子氏姓制度に代わり個人の能力により位をさずけた制度の名は?冠位十二階十七条の憲法には「( )をもって貴しとなす」との記載がある和(※3)中大兄皇子らが蘇我蝦夷・入鹿を滅ぼした戦いの名は?乙巳の変倭(日本)が新羅と唐の連合軍に敗れた戦いはの名は?白村江の戦い中大兄皇子が即位して( )天皇となった天智(天皇)天智天皇が作った日本最初の全国的な戸籍の名称は?庚午年籍大海人皇子と大友皇子による天皇の位をめぐる戦いの名は?壬申の乱(※4)大海人皇子は即位して( )天皇となった天武(天皇)701年に制定されたわが国最初の本格的な法令は?大宝律令平城京は710年に唐の( )にならって作られた長安(※5)6歳以上に田畑を与え、死後に返還させる仕組みを何という?班田収授法米の収穫量の3%を納める税のことを( )という祖各地の特産物を納める税のことを( )という調労役または布で税のことを( )という庸北九州に置かれた外交や防衛を担う機関の名は?大宰府北九州の防衛にあたった兵士のことを何という?防人( )京のときに大宝律令が制定された藤原(京)律令制度において神をまつる役職を( )官という神祇(官)律令制度において左大臣など政治を行う役職を( )官という太政(官)6歳以上の男女に割り当てた田畑を( )という口分田国ごとに国分寺、国分尼寺を建てさせた天皇は?聖武天皇(※6)全国を回り用水路や橋の整備を行った僧は?行基新たに開墾した土地の私有を永遠に認めた法は?墾田永年私財法(※7)伝仁徳天皇陵などカギ穴のような形をした古墳を何という?前方後円墳ヤマト政権時代に中国や朝鮮半島から渡ってきた人々を何という?渡来人(※8)小野妹子など当時の中国にわたり文化を学んだものを何という遣隋使盲目になりながらも来日し仏教を広めた僧は?鑑真現存する世界最古の木造建築物は?法隆寺東大寺正倉院など風通し良く設計された建築物を( )造という校倉(造)天武天皇の時代につくられた日本最古とされるお金は?富本銭わが国最初の仏教文化の名は?飛鳥文化天武天皇から文武天皇のころの文化を( )文化という白鳳(文化)(※9)聖武天皇のころの文化を( )文化という天平(文化)(※10)国の成り立ちを記した2つの歴史書の名は?古事記と日本書紀国ごとの自然や産物などをまとめたものを何という?風土記柿本人麻呂などの歌がおさめられている和歌集は?万葉集わが国最初の漢詩集は?懐風藻農民の貧しい様子がわかる山上憶良の歌は?貧窮問答歌百人一首「天の原 ふりさけみれば…」を作った遣唐使の名は?阿倍仲麻呂鑑真が建てたお寺は?唐招提寺法隆寺にある唐草模様の透かし彫りがある仏教工芸品の名は?玉虫厨子法隆寺にある釈迦三尊像の作者は?鞍作鳥6世紀末に中国全土を統一した国(王朝)は?隋7世紀初めに中国全土を統一した国(王朝)は?唐676年に朝鮮半島を統一した国は?新羅※1…日本(倭)についての記載が初めてあったのは漢書地理志※2…中国の魏から「親魏倭王」の称号をもらっている※3…十七条の憲法は役人としての守るべき心構えなどをまとめたもの※4…天智天皇の弟の大海人皇子側が勝利※5…唐の都の長安は当時人口100万人の大都市だった※6…都には東大寺を建て、大仏をつくらせた※7…私有地の増加を招き、荘園へとつながっていく※8…須恵器をつくる技術などを日本に伝えた※9…高松塚古墳壁画、薬師寺の東塔など※10…東大寺正倉院、唐招提寺金堂など
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  • 中学歴史の定期テスト対策(奈良時代)
    奈良時代の確認問題中学歴史「奈良時代」の重要ポイントです。中学歴史「奈良時代」のチェックポイント問題解答奈良に710年に( )京がつくられた平城(京)710年に奈良につくられた都は唐の( )にならっている長安遣唐使に同行した( )は帰国せずに唐で高官となった阿倍仲麻呂班田収授法により6歳以上のすべての人に( )が与えられた口分田税(租庸調)のうち収穫量の3%の稲のことを( )と呼ぶか租赤い部分をクリックすると正解が表示されます。問題を入れ替えて再チャレンジココをクリックすると問題が入れ替わります中学歴史「奈良時代」のチェックポイント一覧問題解答奈良に710年に( )京がつくられた平城(京)710年に奈良につくられた都は唐の( )にならっている長安遣唐使に同行した( )は帰国せずに唐で高官となった阿倍仲麻呂班田収授法により6歳以上のすべての人に( )が与えられた口分田税(租庸調)のうち収穫量の3%の稲のことを( )と呼ぶ租税(租庸調)のうち労役または布のことを( )と呼ぶ庸税(租庸調)のうち地方の特産物のことを( )と呼ぶ調743年の( )法により開墾した土地を永久に私有できることになった墾田永年私財法来日して唐招提寺を開いた中国の僧は?鑑真僧の( )は東大寺の大仏建立や地方での用水路の整備などに貢献した行基( )による貧窮問答歌はこの頃の農民の苦しい生活をあらわしている山上憶良奈良時代にわが国最初の歌集である( )がまとめられた万葉集太安万侶により日本最古の歴史書である( )が編纂された古事記舎人親王により編纂された( )は720年に完成した日本書紀地方ごとにまとめた地理書のことを何と呼ぶか?風土記( )天皇は国ごとに国分寺と国分尼寺を建てさせた聖武(天皇)奈良時代に栄えた仏教の影響を受けた文化を( )という天平文化東大寺にある校倉造の代表的な建物は?正倉院東北地方の蝦夷を支配するために宮城県に( )城が築かれた多賀(城)九州地方には( )がおかれ外交と防衛にあたった大宰府東北地方の太平洋側には( )国がおかれた陸奥(国)東北地方の日本海側には( )国がおかれた出羽(国)大宝律令による2官とは太政官と何?神祇官中央の貴族が任じられた地方の役職は?国司奈良代の一問一答集中学歴史「奈良時代」の一問一答チェック中学歴史の奈良時代のポイントを一問一答形式でチェックできます。問題、選択肢は毎回ランダムに変更されます。問題(1)大宝律令による2官とは太政官と何?など。覚えておきたいポイントもまとめています。
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  • 天平文化
    天平文化の特徴とまとめ(中学歴史)
    天平文化は「国際色豊かな仏教文化」中学歴史で習う天平文化について定期テストで出題されそうなポイントをまとめています。天平文化の特徴「国際色豊かな仏教文化」天平文化は、奈良時代の文化で聖武天皇の頃(8世紀初め)に最も栄えたので、このときの年号から天平文化と呼ばれています。7世紀の飛鳥文化と同様に仏教を中心とした文化で、中国大陸だけでなく西アジアや南アジアの影響もうけた国際色豊かな文化となっています。奈良時代に数回にわたり派遣された遣唐使が持ち帰ったものが天平文化に影響を与えたことが特徴です。遣唐使を廃止したことで日本独自の発展を遂げることになったのが天平文化の後の国風文化の特徴となります。天平文化の時代背景天平文化とは、奈良時代の天平年間(729年から749年)に栄えた文化です。この時代の出来事を確認しておきましょう。710年平城京遷都712年古事記713年風土記720年日本書紀723年三世一身の法729年長屋王の変741年国分寺建立の詔743年大仏造立の詔743年墾田永年私財法794年平安京遷都天平文化のワンポイントまとめ仏教中心国際色豊か遣唐使の影響国分寺、東大寺大仏による政治の安定古事記、日本書紀など国の由来に関するもの仏教中心という特徴は天平文化の前の飛鳥文化と共通する特徴ですが、遣唐使などの影響で国際色が豊かになったのが飛鳥文化との違いです。天平文化は日本という国が出来上がるときの文化ともいえます。聖武天皇は各地に国分寺・国分尼寺を建て、奈良には東大寺の大仏を建立することで政治の安定を目指しました。当時は大地震や天然痘の流行などで社会不安が広がっていたため、聖武天皇は仏教の力で国を護ってもらおうと国分寺・国分尼寺や東大寺の大仏を建立しました。また、日本という国の由来をあきらかにするために「古事記」と「日本書紀」の歴史書がつくられたのもこの時代です。ちなみに、古事記と日本書紀では「キ」の字が異なります。古事「記」と日本書「紀」です。記述が多い定期テストでは間違えないようにしましょう。天平文化の作品(代表的建造物、書物など)作品(建造物)特徴東大寺大仏聖武天皇が建立。正倉院東大寺の倉庫で聖武天皇が使用していたものなどが収められている。古事記歴史書。神話、伝承なども含まれる。日本書紀歴史書。中国の歴史書の体裁で書かれている。風土記各地の産物や自然、伝承などを記したもの。万葉集約4500首の和歌。天皇から庶民の歌までが収められている。貧窮問答歌山上憶良によるもの。庶民の苦しい暮らしを詠んだもの。正倉院には遣唐使が中国から持ち帰ったとされる当時の品々が残されています。古事記は712年に完成した日本最古の歴史書で神話の時代から推古天皇の時代までが記されています。江戸時代に、この古事記を研究したのが本居宣長で、「古事記伝」を記し、国学を完成しました。(こちらも定期テストでよく出るので覚えておきましょう。)天平文化の特徴を前後の文化と比較飛鳥文化、天平文化は中国など大陸からの影響を受けているのに対し、国風文化になると日本独自の発展をしたことが特徴となっています。時代特徴飛鳥文化7世紀頃(厩戸皇子・聖徳太子の時代)わが国最初の仏教文化天平文化8世紀はじめ奈良時代(聖武天皇の時代)国際色豊かな仏教文化国風文化9世紀の終わり平安時代ひらがな・カタカナなど日本独自の発展天平文化に関する確認問題(中学歴史レベル)【問題】【解答】天平文化は( )中心の仏教文化貴族( )天皇の時代を中心に栄えたのが天平文化聖武全国各地で仏教を広めるとともに橋や道路をつくった人物は?行基失明しながらも来日した唐の僧は?鑑真東大寺の正倉院は( )造の代表的な建築物です校倉天武天皇の指示により作られた2つの歴史書は?古事記と日本書紀各地の自然や産物を記した書物は?風土記最古の和歌集は?万葉集最古の漢詩集は?懐風藻鑑真が建てた寺は?唐招提寺↓コチラのページでチェックできます。天平文化の一問一答(中学歴史レベル)中学歴史レベル(高校入試レベル)での天平文化に関する確認問題を作成しました。全国各地で仏教を広めるとともに橋や道路をつくった人物は?天武天皇の指示により作られた2つの歴史書は?東大寺の正倉院は( )造の代表的な建築物です。など対話形式で学ぶ天平文化今、歴史で奈良時代を習っているんですけど、「天平文化」っていうのが、なんだかすごく豪華で、でもちょっと難しくて。どんな特徴があるのか、もう少し詳しく知りたいんです。おお、良い質問だね! 天平文化は、奈良時代、特に聖武天皇の時代に花開いた文化のことだよ。一言で言うと、「国際色豊かで仏教色の濃い、華やかな貴族文化」だと言えるね。国際色豊かで、仏教色が濃い、華やかな貴族文化…なるほど。具体的にはどんな感じだったんですか?じゃあ、まず「国際色豊か」な点から説明しようか。天平文化は、中国の唐という国、それから朝鮮半島の新羅や百済(滅亡後も文化的な影響はあった)、さらには遠くインドやペルシャの文化まで、積極的に取り入れたの。インドやペルシャまでですか! すごい! どうやって取り入れたんですか?主に遣唐使という使節団が中国へ渡り、進んだ文化や技術を持ち帰ったの。唐の都・長安は、当時世界でも有数の国際都市で、様々な国の人が行き交っていた。そこで得た知識や品物が、日本の文化に大きな影響を与えたんだよ。例えば、正倉院に収められている宝物を見ると、唐だけでなく、西域やペルシャ風のデザインのものがたくさんあるんだ。正倉院の宝物! 確かに、教科書で見た琵琶とか、すごくエキゾチックな柄でした! あれが国際色なんですね!その通り! 次に、「仏教色が濃い」という特徴だね。聖武天皇は、仏教の力で国を治めようとしたんだ。鎮護国家思想といって、仏教の力で国を安泰にしようと考えた。だから、東大寺の大仏建立をはじめ、国中に国分寺や国分尼寺が建てられたってこと。東大寺の大仏! あれも天平文化なんですね!そうだよ。大仏の顔を見ればわかるけど、あの穏やかで慈悲深い表情は、当時の仏教美術の最高傑作の一つ。他にも、興福寺の阿修羅像なんかも天平文化を代表する仏像だね。仏像だけでなく、お経を写す写経も盛んに行われたり、僧侶が中心となって文化を担う役割も大きかったんだ。仏教が、国の中心だったんですね。なんだか、今の日本とは全然違いますね。そうだね。そして最後の特徴、「華やかな貴族文化」についてだけど、これは仏教や国際色とも密接に関わっている。当時の貴族たちは、仏教を深く信仰し、中国から伝わった最新の流行を取り入れたんだ。彼らの生活は非常に豊かで、建築、彫刻、絵画、工芸品など、あらゆる分野で豪華絢爛なものが作られた。貴族の人が、リーダーだったんですね。その通り。彼らが文化の担い手であり、パトロンだったんだ。たとえば、歌の世界では『万葉集』が編纂されたけど、天皇から庶民まで幅広い身分の人々の歌が収められているとはいえ、やはり貴族の歌が多くを占めている。遣唐使として唐に渡った阿倍仲麻呂のような国際的な感覚を持った貴族もいたんだ。なるほど! まとめると、天平文化は、遣唐使のおかげで中国や遠い国の文化まで入ってきて、聖武天皇が仏教の力で国を良くしようとしたから仏像とかお寺がたくさん作られて、それを貴族の人たちが中心になって豪華な文化を作り上げた、ってことですね!
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  • 中学歴史「奈良時代」の一問一答チェック
    奈良時代の一問一答集中学定期テストレベルの一問一答(奈良時代編)【問題】【解答】奈良に710年につくられた都は?平城京平城京をつくった天皇は?元明天皇来日して唐招提寺を開いた中国の僧は?鑑真班田収授法のもとで、6歳以上の男女に与えられた土地を何という?口分田東大寺を建てた天皇は?聖武天皇収穫の約3%をおさめる税は?租日本最古の正史とされ、舎人親王らによって編纂された歴史書は?日本書紀奈良時代の代表的な和歌集は?万葉集仏教の影響を受けた奈良時代の文化を何というか?天平文化奈良時代の後の時代は?平安時代高校入試レベルの一問一答(奈良時代編)【問題】【解答】大宝律令による2官とは太政官と何?神祇官地方ごとにまとめた地理書のことを何と呼ぶか?風土記墾田永年私財法により広まった私有地を何という?荘園平城京遷都を行った理由の一つとされる、藤原氏の政権争いの事件は?長屋王の変東大寺の大仏建立に協力した僧は?行基鑑真が建立した、日本初の戒律を授けるための寺は?唐招提寺奈良時代の代表的な歴史書で、神話や天皇の系図が記されたのは?古事記奈良時代の文化が仏教中心で国際色豊かなことから、何文化と呼ばれる?天平文化東大寺の宝物が収められていた建物は?正倉院都で10日間の労働を課される税は?庸中学歴史の一問一答チェック(奈良時代編)上に掲載した表からランダムに5問が出題されます。問題解答東大寺にある校倉造の代表的な建物は?正倉院中央の貴族が任じられた地方の役職は?国司6歳以上のすべての人に与えられたものは?口分田仏教の影響を受けた奈良時代の文化を何というか?天平文化国ごとに国分寺と国分尼寺を建てさせた天皇は?聖武天皇赤い部分をクリックすると正解が表示されます。ちがう問題で確認ココをクリックすると問題が入れ替わります何回も挑戦してみてください。奈良時代のテスト対策奈良時代のキーワード平城京奈良に造営された都。唐の長安をモデルにした。仏教政治(鎮護国家)仏の力で国を守るという考え方。国分寺・国分尼寺聖武天皇が全国に建てた寺院。墾田永年私財法開墾した土地の私有を認めた法令。荘園が増加。班田収授法戸籍に基づき6歳以上の男女に口分田を与える制度。口分田班田収授法で支給された農地。租・庸・調奈良時代の税制。稲・布・特産物などを納めた。雑徭地方での労役。成人男性に課された。防人九州北部の防衛に派遣された兵士。東大寺奈良の大仏がある寺。仏教の中心。大仏(盧舎那仏)奈良の東大寺にある巨大な仏像。唐招提寺鑑真が建立した寺。天平文化仏教中心で国際色豊かな奈良時代の文化。正倉院東大寺の宝物庫。シルクロード文化の影響が見られる。シルクロード東西を結ぶ交易路。奈良の文化にも影響。古事記日本最古の歴史書。神話中心。712年成立。日本書紀正式な歴史書。漢文で書かれた。720年成立。風土記地方の自然・文化・伝承をまとめた書物。万葉集最古の和歌集。天皇から農民までの歌を収録。遣唐使唐に派遣された使節。文化を吸収する目的。唐奈良時代の日本が手本とした中国の王朝。渤海(ぼっかい)奈良時代に交流した朝鮮半島北部の国。聖武天皇仏教政治を推進した天皇。大仏造立を命じた。藤原不比等奈良時代初期に権力を握った藤原氏の人物。大伴家持万葉集の編者のひとり。行基民衆に仏教を広め、大仏造立にも協力した僧。鑑真唐から来日し、戒律を伝えた僧。唐招提寺を創建。奈良時代に関する出題ポイント平城京は唐の長安にならってつくられた都(藤原京から遷都)。奈良時代の政治のしくみ…中央に2官8省、地方に国・郡・里、九州に大宰府が置かれた。鑑真…来日して唐招提寺を開いた中国の僧。行基…東大寺の大仏建立や地方での用水路の整備などに貢献した僧。古事記、日本書紀、風土記が奈良時代に編さんされた。出題される用語として、東大寺正倉院とくれば、校倉造がセット。口分田は班田収授法により与えられた。答えから覚える奈良時代の一問一答集奈良時代に関する重要キーワード毎に、それが答えとなる一問一答の問題を作成しました。平城京が正解となる問題710年に日本の都が置かれた場所で、現在の奈良市にあたる都の名前は何でしょう?唐の長安を模して造られたと言われる、碁盤の目状に整備された都は何でしょう?奈良時代、日本の政治・文化の中心地として栄えた都の名前は何でしょう?墾田永年私財法が正解となる問題奈良時代に出された、新しく開墾した土地は永久に私有を認めるという法令は何でしょう?この法令が出されたことで、土地の私有が進み、後の荘園の成立につながったと言われる法律は何でしょう?743年に発布され、それまでの土地制度を大きく転換させた法令は何でしょう?班田収授法が正解となる問題飛鳥時代から奈良時代にかけて行われた、国家が国民に土地を分け与え、その代わり税を徴収する制度は何でしょう?中国の均田制に倣って導入された、土地と人民を国家が直接支配する律令制の基本となる土地制度は何でしょう?口分田を支給された人が亡くなると、その口分田は国家に返還される仕組みであったこの制度は何でしょう?口分田が正解となる問題班田収授法によって、国家から国民に与えられた土地のことを何と呼ぶでしょう?この土地は、6歳以上の男女に与えられ、死後には国家に返還されることになっていた土地の名前は何でしょう?律令制のもとで、人々が耕作し、その収穫物の一部を税として納めた土地の区分の名前は何でしょう?防人が正解となる問題九州の沿岸警備にあたった兵士のことを何と呼ぶでしょう?東国を中心に各地から徴発され、任期を終えると故郷に帰ることができた兵士の名前は何でしょう?彼らの任期中の苦労や故郷への思いを詠んだ歌が多く残されていることで知られる兵士を何と言うでしょう?天平文化が正解となる問題奈良時代に花開いた、華やかで国際的な仏教文化の総称は何でしょう?聖武天皇の時代を中心に、唐の文化の影響を強く受けながら栄えた、国際色豊かな仏教文化を何と呼ぶでしょう?東大寺の大仏鋳造に代表されるように、大規模な寺院建築や仏像制作が盛んに行われた文化は何でしょう?古事記が正解となる問題現存する日本最古の歴史書で、神代から推古天皇までのできごとを記した書物は何でしょう?稗田阿礼が読み習った内容を太安万侶が筆録して編纂されたとされる日本の歴史書は何でしょう?神話、伝説、歌謡などを豊富に含み、日本の成り立ちや天皇家の系譜を記した書物は何でしょう?日本書紀が正解となる問題編年体で書かれ、中国の正史にならって記述されたとされる、日本の歴史書は何でしょう?720年に完成し、天皇中心の国家の正当性を示す目的で編纂されたと考えられている歴史書は何でしょう?『古事記』とともに「記紀」と呼ばれる、日本の古代史を知る上で重要な史料となっている書物は何でしょう?風土記が正解となる問題奈良時代に、朝廷の命令で各国ごとにまとめられた、その土地の地理、産物、伝説などを記した報告書は何でしょう?各国の地誌や伝承、動植物などについて記述されており、当時の地方の様子を知る上で貴重な資料となっている書物は何でしょう?常陸、出雲、播磨、豊後、肥前の5つの国のものが現在も完全な形で残っているとされる報告書は何でしょう?万葉集が正解となる問題奈良時代に成立した、現存する日本最古の和歌集は何でしょう?柿本人麻呂や山部赤人、大伴家持などが代表的な歌人として知られる和歌集は何でしょう?東歌や防人の歌など、地方の素朴な歌も多く含まれており、当時の人々の生活や感情を伝える貴重な資料となっている歌集は何でしょう?聖武天皇が正解となる問題奈良時代に在位し、仏教の力で国を治めようとした天皇は誰でしょう?大仏建立の詔を発し、仏教を中心とした国づくりを目指した天皇は誰でしょう?全国に国分寺・国分尼寺を建立させ、東大寺に大仏を建立したことで知られる天皇は誰でしょう?行基が正解となる問題奈良時代に、私度僧として活動し、橋や堤防などの公共事業を行い、民衆から慕われた僧侶は誰でしょう?東大寺の大仏造立に協力し、民衆への勧進を行ったことで知られる僧侶は誰でしょう?朝廷から弾圧を受けながらも、全国各地で布教活動を行い、社会事業に尽力した僧侶は誰でしょう?鑑真が正解となる問題来日までの間に五度の渡航失敗と多くの苦難を経験したことで知られる僧侶は誰でしょう?唐招提寺を建立し、日本における仏教の発展に大きく貢献した僧侶は誰でしょう?失明しながらも来日を果たし、東大寺に戒壇を設け、多くの僧侶に戒律を授けたことで知られる僧侶は誰でしょう?
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  • 奈良時代に活躍した人物一覧(中学歴史まとめ)
    中学歴史に出てくる奈良時代の重要人物一覧中学歴史で習う奈良時代(710年の平城京遷都から794年の平安京遷都まで)に活躍した重要人物を一覧表でまとめました。時代を動かした天皇や貴族、文化を彩った僧侶や歌人など、テストでよく出る人物ばかりなのでしっかり確認しましょう!元明天皇げんめいてんのう710年に都を平城京に移し、奈良時代を開く。和同開珎の鋳造や『古事記』の編纂を命じた。聖武天皇しょうむてんのう仏教の力で国を守るため、全国に国分寺・国分尼寺を建て、東大寺に大仏を造った。光明皇后こうみょうこうごう聖武天皇の皇后。貧しい人を救う悲田院や、病人を治療する施薬院を設立した。孝謙天皇こうけんてんのう聖武天皇の娘。のちに再び天皇(称徳天皇)となり、僧の道鏡を政治のトップに重用した。藤原不比等ふじわらのふひと藤原鎌足の子。大宝律令の制定や平城京の建設を主導し、藤原氏の権力基盤を築いた。長屋王ながやおう皇族の代表として政権を握ったが、藤原四兄弟と対立し、自害に追い込まれた(長屋王の変)。橘諸兄たちばなのをもろえ藤原四兄弟の病死後に政権を握る。唐から帰国した吉備真備や玄?を重用した。吉備真備きびのまきび遣唐使として唐で長年学び、帰国後は橘諸兄の政権で政治家としても活躍した学者。玄?げんぼう唐から帰国し、橘諸兄のもとで政治に大きな影響力を持った僧侶。藤原広嗣ふじわらのひろつぐ吉備真備と玄?の除隊を求めて九州の大宰府で反乱を起こすが、鎮圧された。藤原仲麻呂ふじわらのなかまろ恵美押勝(えみのおしかつ)とも呼ばれる。橘諸兄を退けて権力を握るが、道鏡と対立して乱を起こし敗れる。道鏡どうきょう称徳天皇に重用されて政治の実権を握り、天皇の位まで望んだとされている僧侶。和気清麻呂わけのかきまろ道鏡が天皇になろうとした際、宇佐八幡宮の神託を伝えてそれを阻止した。行基ぎょうき民衆のために橋や用水路を作る社会事業を行い、のちに東大寺の大仏づくりにも協力した僧侶。鑑真がんじん何度も遭難し失明しながらも来日し、日本に正しい戒律を伝えて唐招提寺を建てた唐の僧。柿本人麻呂かきもとのひとまろ『万葉集』に多くの優れた歌が残されている、万葉初期・全盛期を代表する宮廷歌人。山上憶良やまがみのおくら遣唐使として唐へ渡り、帰国後は貧しい民衆の暮らしを詠んだ「貧窮問答歌」を残した。阿倍仲麻呂あべのなかまろ遣唐使として唐に渡って科挙に合格し、皇帝に仕えたが、帰国できないまま唐で亡くなった。大伴家持おおとものかけもち武士の家柄である大伴氏の出身で、『万葉集』の編纂に深く関わったとされる歌人・貴族。奈良時代以外に活躍した藤原氏奈良時代は藤原不比等やその子孫たちが政界で大きく力を伸びした時代ですが、歴史の授業では時代を超えて多くの「藤原ナントカ」さんが登場します。時代がごっちゃにならないよう、他の時代の重要人物も整理しておきましょう!藤原鎌足ふじわらのかまたり飛鳥時代藤原氏の祖。中大兄皇子とともに大化の改新(乙巳の変)の立役者となった。藤原良房ふじわらのよしふさ平安時代人臣(皇族以外)で初めて摂政となり、摂関政治の基礎を築いた。藤原道長ふじわらのみちなが平安時代摂関政治の全盛期を迎え、「この世をば…」の歌で有名な絶大な権力を握った。藤原頼通ふじわらのよりみち平安時代道長の子。宇治に平等院鳳凰堂を建て、国風文化と浄土教を代表した。天平文化を彩った万葉歌人たち奈良時代にまとめられた日本最古の和歌集『万葉集』には、天皇から庶民まで多様な人々の歌が約4,500首も収められています。中でも、テストで必ず覚えておきたい代表的な4人の歌人を一覧にしました。柿本人麻呂かきもとのひとまろ天皇や皇族をたたえる長歌や短歌を多く残した、万葉集最高の歌人。山部赤人やまべのおあかひと富士山などの自然の美しさを情景豊かに詠んだ宮廷歌人。山上憶良やまがみのおくら「貧窮問答歌」など、社会の現実や家族への愛を詠んだ歌が有名。大伴家持おおとものかけもち『万葉集』の最後の歌を詠んでおり、全体の編集にも深く関わった。奈良時代の人物を一問一答でチェック説明解答710年に都を平城京に移し、奈良時代を開く。和同開珎の鋳造や『古事記』の編纂を命じた。元明天皇仏教の力で国を守るため、全国に国分寺・国分尼寺を建て、東大寺に大仏を造った。聖武天皇聖武天皇の皇后。貧しい人を救う悲田院や、病人を治療する施薬院を設立した。光明皇后聖武天皇の娘。のちに再び天皇(称徳天皇)となり、僧の道鏡を政治のトップに重用した。孝謙天皇藤原鎌足の子。大宝律令の制定や平城京の建設を主導し、藤原氏の権力基盤を築いた。藤原不比等赤い部分をクリックすると正解が表示されます。ちがう問題で確認ココをクリックすると問題が入れ替わります何回も挑戦してみてください。奈良時代に活躍した人物仏教の力で国家の安泰を願った「聖武天皇」聖武天皇が即位した頃の日本は、皇族や貴族同士の激しい政治争いが絶えず、さらに干ばつや天然痘(大流行した伝染病)によって多くの人々が命を落とす非常に不安な時代でした。そこで聖武天皇は、仏教の力で国を災いから守り、平和にしようとする「鎮護国家(ちんごこっか)」の考えに基づき、全国に国分寺と国分尼寺を建て、都の東大寺に巨大な大仏を造るという一大プロジェクトを推し進めました。民衆と共に社会を支えた架け橋「行基」当時の法律では、僧侶が寺院の外へ出て一般の民衆に仏教を広めることは禁止されていました。しかし、行基は民衆の中に飛び込み、仏教の教えを解きながら、人々とともに橋を架け、用水路を掘り、ため池を作るなどの社会事業を次々と行いました。その圧倒的な影響力と民衆からの厚い人望を見た聖武天皇は、行基の活動を公認・弾圧から一転して応援し、のちに東大寺の大仏を造る際には、人々の協力を集めるための最高責任者(大僧正)として行基の力を頼りました。命がけで日本へ仏教の規律を伝えた「鑑真」当時の日本には、僧侶になるための正しいルール(戒律)や、それを授ける正式な資格を持つ人がいませんでした。そこで日本からの要請を受けた唐の高僧・鑑真は、日本への渡航を決意します。しかし、弟子たちの反対や政府の妨害、さらに激しい嵐による難破など、5度もの渡航失敗が重なり、鑑真自身も長い漂流の末に病によって両目の視力を失ってしまいました。それでも決して諦めず、6度目の挑戦でついに日本への到着を果たし、唐招提寺を建てて日本の仏教に確固たる規律と発展をもたらしました。関連記事)奈良時代の年表、文化、一問一答奈良時代の流れ「平城京に都を移す、聖武天皇が国分寺を建てる、墾田永年私財法、古事記・日本書紀の完成、長岡京に都を移す、平安京に都を移す」など定期テストレベルのものをまとめています。中学歴史で習う天平文化のまとめと特徴中学歴史で習う奈良時代の天平文化について学校の定期テストレベルの内容についてポイントをまとめています。「東大寺大仏、正倉院、古事記、日本書紀、風土記、貧窮問答歌」など。天平文化は、奈良時代の文化で聖武天皇の頃(8世紀初め)に最も栄えたので、このときの年号から天平文化と呼ばれています。中学歴史「奈良時代」の一問一答チェック中学歴史の奈良時代のポイントを一問一答形式でチェックできます。問題、選択肢は毎回ランダムに変更されます。問題(1)大宝律令による2官とは太政官と何?など。覚えておきたいポイントもまとめています。
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  • 聖武天皇がしたことをわかりやすく解説!大仏を造った理由とテストに出る3つの重要ポイント
    奈良時代の歴史を勉強していると、必ずテストに出るのが聖武天皇(しょうむてんのう)です。「東大寺の大仏を造った人!」とすぐに思い浮かぶ中学生も多いのではないでしょうか。でも、テストで「なぜあんなに巨大な大仏を造ったの?」「大仏以外には何をした人なの?」と聞かれると、答えに詰まってしまう人がとても多いんです。実は、聖武天皇がしたことには、すべて「当時の日本が直面していた大ピンチを救うため」という強い思い(目的)がありました。この背景(ストーリー)を知るだけで、「国分寺」や「墾田永年私財法」といった難しい用語が、丸暗記しなくてもスラスラと頭に入るようになります。この記事では、「聖武天皇がしたこと」を中学生向けにわかりやすく徹底解説します。定期テストで確実に点数を取るためのポイントを一緒にマスターしていきましょう!聖武天皇とはどんな人物?まずは「聖武天皇がしたこと」の背景(理由)を知ろう聖武天皇が歴史に残るような大事業を行った裏には、当時の日本を襲っていた「どうしようもない困難」がありました。まずはここから理解しましょう。奈良時代はどんな時代?疫病(伝染病)の流行や反乱が続いた大ピンチ!聖武天皇が政治を行っていた奈良時代の前半は日本中がボロボロの大ピンチでした。疫病(天然痘など)の大流行恐ろしい伝染病が流行り、政治の中心にいた有力な貴族(藤原四兄弟など)や、多くの民衆が次々と亡くなりました。自然災害と飢饉地震や日照りなどの災害が続き、農作物が育たず、食べるものがない人々が苦しんでいました。貴族の反乱政治の混乱から九州で「藤原広嗣(ふじわらのひろつぐ)の乱」という大きな反乱が起きました。天皇として国をまとめる立場だった聖武天皇は、「私の政治が悪いから、こんなに不幸が続くのか…」と深く悩み、なんとかして国を救いたいと強く願うようになりました。仏教の力で国を救う!「鎮護国家(ちんごこっか)」そこで聖武天皇が頼ったのが「仏教(ぶっきょう)」の力です。当時は「仏教の教えを深く信じ、お寺や仏像を造れば、仏様が国を守ってくれて平和になる」と信じられていました。このように、仏教の力で国を守り、安定させようとする考え方を鎮護国家(ちんごこっか)の思想と呼びます。ここがテストに出る!聖武天皇がしたことの最大の目的は、この「鎮護国家」です。記述問題で「なぜ大仏を造ったのですか?」と聞かれたら、「仏教の力で、疫病や災害から国を守るため(国家の不安を鎮めるため)」と書けるようにしておきましょう!【テスト必須】聖武天皇がしたこと(やったこと)の2つの大事業!「鎮護国家」の考えをもとに、聖武天皇は国のお金を大きく使って、2つの巨大な事業(プロジェクト)をスタートさせます。全国の国ごとに「国分寺・国分尼寺」を建てる聖武天皇は、日本全国の国(今の都道府県のようなもの)のそれぞれに、お寺を建てるよう命令を出しました。国分寺(こくぶんじ)お坊さん(男性)がいるお寺。国分尼寺(こくぶんにじ)尼さん(女性のお坊さん)がいるお寺。日本中に「祈りのネットワーク」を作ることで、全国どこでも仏様に国を守ってもらおうと考えたのです。都(平城京)の東大寺に巨大な「大仏」を造る国分寺のネットワークの中心として、都である平城京(奈良県)の東大寺(とうだいじ)に、とてつもなく巨大な大仏(盧舎那仏/るしゃなぶつ)を造る命令を出しました。この大仏は高さが約15メートルもあり、当時の日本の最新技術と、莫大な量の銅や金が使われました。これほど巨大な仏像を造ることで、仏教の偉大な力を人々に示そうとしたのです。+αの重要人物:人々の協力を集めるため「行基(ぎょうき)」を大僧正にする大仏を造るには、お金も物資も、そして働く人々の力も大量に必要でした。しかし、重い税金で苦しんでいた民衆は、最初は政府の命令に協力してくれませんでした。そこで聖武天皇が頼ったのが、行基(ぎょうき)というお坊さんです。行基は、政府の命令を無視して、橋を架けたりため池を造ったりと、直接民衆を助ける活動をして絶大な人気を集めていました。聖武天皇は行基を仏教界のトップ(大僧正)に任命し、行基についてきた多くの民衆の協力を得て、ついに大仏を完成させたのです。大仏や寺の建設以外に、政治や文化で聖武天皇がしたこと聖武天皇がしたことは、お寺や大仏を造っただけではありません。政治のルール(法律)や文化面でも、非常に重要なことをしています。土地のルールを大転換!「墾田永年私財法」の目的「墾田永年私財法(こんでんえいねんしざいほう)」。中学生が歴史で一番つまずきやすい長い法律名ですが、実はこれも聖武天皇が出したものです。当時、人口が増えて田んぼが足りなくなっていました。また、税金が重すぎて田んぼから逃げ出す農民も増えていました。そこで聖武天皇はルールを大きく変えます。墾田永年私財法 「新しく荒れ地を開墾して(耕して)田んぼにしたら、永久に(永年)自分のもの(私財)にしていいよ」という法律です。これまでは「すべての土地は天皇のもの(公地公民)」でしたが、この法律によって「私有地(自分の土地)」が認められました。貴族や大きなお寺は農民を雇ってどんどん土地を広げ、のちに「荘園(しょうえん)」と呼ばれる私有地へと発展していきます。唐やシルクロードの影響を受けた「天平文化」と正倉院聖武天皇の時代に栄えた、国際豊かで仏教中心の文化を天平文化(てんぴょうぶんか)と呼びます。当時、日本は「遣唐使(けんとうし)」を中国(唐)に派遣していました。そのため、唐の文化や、さらに遠く離れたシルクロードを通って西アジア(ペルシャなど)の文化も日本に入ってきました。ここがテストに出る!聖武天皇が亡くなった後、彼が大切にしていた遺品(宝物)は、東大寺の正倉院(しょうそういん)という倉庫に収められました。正倉院は校倉造(あぜくらづくり)という、木材を井桁(いげた)に組み上げた風通しの良い特別な造りになっており、シルクロードから伝わったガラスの器や楽器などが、今でも綺麗な状態で残されています。まとめ:中学生が覚えるべき「聖武天皇がしたこと」とテストのポイントいかがでしたか?聖武天皇は、「疫病や災害から国を救いたい」という思いから仏教に頼り、さまざまな大事業を行いました。テストによく出る重要語句チェックリスト(大仏・国分寺・鎮護国家・墾田永年私財法)テスト前には、以下のキーワードが「なぜ行われたのか(理由)」とセットで説明できるかチェックしましょう!鎮護国家(ちんごこっか)仏教の力で国を災いから守ろうとする考え方。国分寺・東大寺(大仏)鎮護国家のために、全国や都に造らせたもの。行基(ぎょうき)大仏造営のために、民衆の協力を集めたお坊さん。墾田永年私財法新しく開墾した土地を永久に自分のものにしてよいとした法律(荘園の始まり)。正倉院(しょうそういん)聖武天皇の宝物が収められた、校倉造の倉庫。【実力試し】聖武天皇に関する一問一答クイズ!最後に、今回の内容の復習クイズに挑戦してみましょう。聖武天皇が仏教の力で国を守るために全国の国ごとに建てさせたお寺(男性のお坊さんの寺)を何という? クリックで答え・解説を表示 国分寺(こくぶんじ) 聖武天皇の命令で、東大寺の大仏を造るために民衆の協力を集めて活躍したお坊さんは誰? クリックで答え・解説を表示 行基(ぎょうき) 743年に出された、新しく開墾した土地を永久に私有してよいと定めた法律は? クリックで答え・解説を表示 墾田永年私財法(こんでんえいねんしざいほう) 聖武天皇の時代に栄えた、唐やシルクロードの影響を受けた国際色豊かな文化を何文化という? クリックで答え・解説を表示 天平文化(てんぴょうぶんか) 聖武天皇の愛用品などが収められている、東大寺にある校倉造(あぜくらづくり)の倉庫を何という? クリックで答え・解説を表示 正倉院(しょうそういん) 全問正解できましたか?「聖武天皇がしたこと」は、奈良時代の政治と文化の超重要ポイントがすべて詰まっています。この記事の流れを思い出して、定期テストでバッチリ高得点を狙ってくださいね!
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  • 鑑真がしたことをわかりやすく解説!失明してまで伝えた「戒律」とタイパ最強の暗記ポイント
    奈良時代の歴史を勉強していると、必ず教科書に登場するお坊さんがいます。それが鑑真(がんじん)です。「目が見えなくなったお坊さん」「唐招提寺を建てた人」として、なんとなく覚えている人も多いのではないでしょうか。でも、「結局、鑑真がしたことって何がそんなにすごいの?」「どうしてわざわざ日本に来たの?」と聞かれると、うまく答えられない中学生がたくさんいます。実は、鑑真の人生はドラマや映画になるくらい、波乱万丈で感動的なストーリーに満ちています。その「苦労のストーリー」を知るだけで、テストに出る難しい用語が、丸暗記しなくてもスラスラと頭に入るようになりますよ!この記事では、「鑑真がしたこと」を中学生向けにわかりやすく徹底解説します。暗記のコツも紹介するので、定期テストの点数アップに役立ててください!鑑真とはどんなお坊さん?「鑑真がしたこと」の背景を知ろう鑑真はもともと、唐(とう:当時の中国)でトップクラスの超エリートのお坊さんでした。そんなすごい人が、なぜわざわざ海を渡って日本にやってきたのでしょうか?日本には正式なお坊さんになるためのルール「戒律」がなかった当時の日本(奈良時代)は、聖武天皇が「仏教の力で国を守ろう(鎮護国家)」としていた時代です。そのため、お坊さんは税金が免除されるなどの特別な扱いを受けていました。すると、「税金を払いたくないから、勝手にお坊さんのフリをする人」が日本中で急増してしまったのです。これを防ぐためには、「正式なお坊さんになるための厳しいルール」を教え、テストをしてくれる本物の先生が必要でした。このお坊さんが守るべきルールのことを戒律(かいりつ)と呼びます。しかし、当時の日本には戒律を正しく教えられる人が一人もいませんでした。日本の遣唐使にお願いされ、命がけで日本へ行く決意をする「このままでは日本の仏教がダメになってしまう!」と危機感を持った日本のお坊さん(栄叡と普照)は、遣唐使(けんとうし)の船に乗って唐へ渡り、立派な先生を探しました。そして出会ったのが、唐で最も尊敬されていた鑑真です。日本の僧の熱意に打たれた鑑真は、弟子たちに「誰か日本に行って教えを伝えてくれないか」と頼みますが、海を渡る危険から誰も手を挙げませんでした。そこで鑑真は、「仏教のためならば命は惜しくない。誰も行かないなら、私が行こう」と、自ら日本へ行く決意をしたのです。【テスト必須】鑑真がしたことの2つの偉業!ここからが歴史のテストで最もよく出るポイントです。鑑真が命がけで成し遂げた「2つの偉業」をしっかり覚えましょう。5回の失敗と「失明」を乗り越え、日本に「戒律」を伝えた鑑真の日本への旅は、想像を絶するほど過酷なものでした。激しい嵐による遭難、海賊の襲撃、さらに「こんな立派な先生を外国に渡してなるものか!」という唐の役人からの妨害などにより、なんと5回も日本への渡航に失敗してしまいます。この厳しい旅の途中で、鑑真は病気にかかり、両目の視力を失って(失明して)しまいました。それでも決して諦めず、753年、6回目の挑戦でついに日本の土を踏むことができました。決意をしてから12年もの歳月が流れていました。日本に到着した鑑真は、東大寺に戒壇(かいだん:戒律を授けるための場所)を作り、日本の僧侶たちに正しい「戒律」を伝えました。ここがテストに出る!「鑑真が日本に伝えたものは何ですか?」と聞かれたら、答えはズバリ「戒律(かいりつ)」です!奈良に「唐招提寺(とうしょうだいじ)」を建てた日本に戒律を根付かせた鑑真は、自分の理想とするお寺を奈良に建てました。それが唐招提寺(とうしょうだいじ)です。唐招提寺は、戒律を学ぶための専門の学校のような役割を果たしました。現在でも奈良県にあり、お寺の中には、目をとじて静かに座る鑑真の姿を写した有名な仏像(鑑真和上坐像)が安置されています。仏教だけじゃない!文化や医療の分野で鑑真がしたこと鑑真がしたことは、お坊さんにルールを教えることだけではありません。彼は日本の文化や人々の生活にも大きな影響を与えました。天平文化(てんぴょうぶんか)への貢献!唐の最新の芸術を伝える聖武天皇の時代に栄えた、唐やシルクロードの影響を受けた国際色豊かな文化を天平文化(てんぴょうぶんか)と呼びます。鑑真は日本に来る際、仏教の教典だけでなく、唐の優秀な彫刻家や建築家、芸術家たちを一緒に連れてきました。彼らが唐招提寺の建設や仏像づくりに関わったことで、唐の最新の芸術が日本に直接伝わり、天平文化がさらに豊かに発展したのです。日本に漢方薬などの「医学」を伝えたのも鑑真だった実は、鑑真は仏教だけでなく「医学(薬学)」のスペシャリストでもありました。目が見えなくなっていたにもかかわらず、匂いを嗅いだり舌で舐めたりするだけで、薬草の種類や質を正確に言い当てることができたと言われています。鑑真がもたらした漢方薬などの知識は、当時の日本の医療を大きく進歩させました。(聖武天皇のお后である光明皇后の病気を治したというエピソードも残っています!)まとめ:タイパ最強!中学生向け「鑑真がしたこと」のチート暗記術いかがでしたか?鑑真の感動的なストーリーを知ると、用語も自然と頭に入ってきますよね。【実力試し】鑑真に関する一問一答クイズ!ここまで読めばスラスラ解けるはず!答えを隠して挑戦してみてください。唐から何度も失敗を繰り返して日本に渡り、正しい仏教のルールを伝えたお坊さんは誰? クリックで答え・解説を表示 鑑真(がんじん) 鑑真が日本に伝えるために苦労して持ってきた、お坊さんが守るべきルールのことを何という? クリックで答え・解説を表示 戒律(かいりつ) 何度も遭難した結果、鑑真の体にはどのような大きな困難(ハンデ)が残った? クリックで答え・解説を表示 失明した(目が見えなくなった) 鑑真が奈良に建てた、戒律を学ぶためのお寺の名前は? クリックで答え・解説を表示 唐招提寺(とうしょうだいじ) 鑑真が日本に伝えたのは、仏教と、もう一つは何の知識?(ヒント:薬) クリックで答え・解説を表示 医学(薬学・漢方薬など) 全問正解できましたか?「鑑真がしたこと」は、「失明を乗り越えて『戒律』を伝え、『唐招提寺』を建てた」というワンフレーズで完璧です!この記事のストーリーを思い出して、定期テストで高得点を狙ってください!
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