中学歴史をまとめて学ぶ(年表からネット問題集まで)

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「 飛鳥時代 」の検索結果
  • 飛鳥時代のまとめ年表(中学歴史)
    飛鳥時代の年表とポイント飛鳥時代(前半)の流れヤマト王権の中で中心となって行ったのが蘇我氏。その蘇我馬子とともに政治を行うようになったのが厩戸皇子(聖徳太子)です。冠位十二階の制度や十七条の憲法を制定しただけでなく、遣隋使を派遣して中国の文化も取り入れました。飛鳥時代前半の年表---飛鳥寺ができる593年聖徳太子が摂政に603年冠位十二階の制定604年十七条憲法の制定607年小野妹子ら遣隋使に---法隆寺ができる618年中国で隋が滅び唐がおこる628年唐が中国を統一定期テストでのポイント紛らわしいのは飛鳥寺と法隆寺です。飛鳥寺を立てたのは蘇我馬子で、法隆寺を立てたのが厩戸皇子。どちらもこの時代にできた奈良県にあるお寺です。テストによく出るのは法隆寺のほう。法隆寺は世界最古の木造建築で世界文化遺産にも登録されています。法隆寺の別名「斑鳩寺(いかるがでら)」もあわせて覚えておきましょう。ちなみに、飛鳥寺の別名は法興寺(ほうこうじ)です。飛鳥時代の確認問題次の出来事を起きたのが古い順に並べなさい。(ア) 十七条憲法の制定(イ) 小野妹子が遣隋使となる(ウ) 唐が中国を統一(エ) 冠位十二階の制定飛鳥時代確認問題の答えと解説隋が滅びた後に唐が中国を統一するので、遣隋使→遣唐使の順番になります。答え.(エ)→(ア)→(イ)→(ウ)飛鳥時代後半の流れ中国を統一した唐の力が増したことで、日本にも脅威が迫り、このことから中央集権的な国家を作ろうとする動きが高まりました。蘇我氏をほろぼし天皇を中心とした国家づくりを目指したのが大化の改新です。飛鳥時代後半の年表645年大化の改新(乙巳の変)646年改新の詔→公地公民となる663年白村江の戦い672年壬申の乱676年新羅が統一王朝をつくる701年大宝律令の制定定期テストでのポイント日本と交流がさかんだった百済が唐と新羅に滅ぼされてしまいます。そこで、百済の復興を目指して日本(倭)と唐、新羅の連合軍が戦ったのが白村江の戦いです。これに敗れた日本は唐と新羅の侵攻に備え、九州北部に山城などをきづくと同時に国内の整備を進めることとなりました。飛鳥時代後半の確認問題次の出来事を起きたのが古い順に並べなさい。(ア) 壬申の乱(イ) 白村江の戦い(ウ) 大化の改新(エ) 新羅が統一王朝をつくる確認問題の答えと解説白村江の戦いで日本(倭)を破った新羅が、その後に朝鮮半島を統一することとなります。答え.(ウ)→(イ)→(ア)→(エ)飛鳥時代の年表ポイントチェックポイントを隠す年出来事---飛鳥寺ができる593年聖徳太子が摂政に603年冠位十二階の制定604年十七条憲法の制定607年小野妹子ら遣隋使に---法隆寺ができる618年中国で隋が滅び唐がおこる628年唐が中国を統一645年大化の改新646年改新の詔→公地公民となる663年白村江の戦い672年壬申の乱676年新羅が統一王朝をつくる701年大宝律令の制定隠されたポイントはクリックすると再表示されます。
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  • 中学歴史年表の一問一答チェック(飛鳥、奈良、平安時代)
    飛鳥、奈良、平安時代の年表一問一答飛鳥時代、奈良時代、平安時代に関する中学歴史の年表です。一問一答形式でのチェック問題も作成しているので、定期テスト前などにチェックしてみてください。中学歴史年表(飛鳥、奈良、平安時代)年代出来事関連ポイント589年隋が中国を統一593年聖徳太子が摂政になる推古天皇の摂政となった603年冠位十二階の制定604年十七条の憲法の制定「和をもって貴しとなし」607年小野妹子が遣隋使になる聖徳太子は対等な外交を隋に求めた618年隋がほろび、唐がおこる645年大化改新(乙巳の変)中大兄皇子、中臣鎌足らによる663年白村江の戦い672年壬申の乱大海人皇子と大友皇子の戦い676年新羅が朝鮮半島を統一新羅が百済、高句麗を滅ぼす694年藤原京に都を移す701年大宝律令ができる唐の律令制度にならったもの710年平城京に都を移す唐の都「長安」にならったもの712年古事記ができる720年日本書紀ができる723年三世一身の法ができる743年墾田永年私財法ができる752年東大寺の大仏ができる聖武天皇による784年長岡京に都を移す794年平安京に都を移す桓武天皇による894年遣唐使が停止菅原道真の進言による935年平将門の乱平将門は新皇を名乗る939年藤原純友の乱960年宋が中国でおこる1016年藤原道長が摂政になる摂関政治の全盛期1051年前九年の役1083年後三年の役1086年白河上皇が院政を始める1156年保元の乱1159年平治の乱平清盛と源義朝の戦い1167年平清盛が太政大臣になる1185年平氏が滅びる壇ノ浦の戦い飛鳥、奈良、平安時代の年表一問一答チェック次の出来事が起きた年を答えよ。問題解答問題1答え1問題2答え2問題3答え3問題4答え4問題5答え5赤い部分をクリックすると正解が表示されます。ちがう問題で確認ココをクリックすると問題が再作成されます何回も挑戦してみてください。年表一問一答チェックページ鎌倉、南北朝、室町時代の一問一答鎌倉幕府の成立〜応仁の乱までの鎌倉時代、南北朝時代、室町時代に関する中学歴史年表の一問一答です。年表をチェックしてから、後半の問題に挑戦してみてください。承久の乱,御成敗式目,文永の役,弘安の役,建武の新政の年号は?戦国時代の一問一答戦国時代と世界の動きに関する中学歴史年表の一問一答です。鉄砲伝来やキリスト教の伝来が戦国時代の歴史にも影響を与えています。年表での前後関係など、しっかり覚えておきましょう。コロンブスが西インド諸島に到達,種子島に鉄砲伝来,長篠の戦いなど。江戸時代の一問一答江戸時代に関する中学歴史年表の一問一答です。三大改革(享保の改革、寛政の改革、天保の改革)などの前後関係を覚えておきましょう。禁教令,武家諸法度,参勤交代が定められる,島原・天草の一揆,鎖国が完成,シャクシャインの戦い,正徳の治など。
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  • 中学歴史「古墳時代〜奈良時代」のネット問題集
    古墳時代〜奈良時代のオンライン問題古墳時代から奈良時代にかけての中学歴史の定番問題集です。中学歴史の問題集(古墳〜奈良時代編)問題正解倭(日本)が新羅と唐の連合軍に敗れた戦いはの名は?白村江の戦い中大兄皇子が即位して( )天皇となった天智(天皇)701年に制定されたわが国最初の本格的な法令は?大宝律令7世紀初めに中国全土を統一した国(王朝)は?唐農民の貧しい様子がわかる山上憶良の歌は?貧窮問答歌赤い部分をクリックすると正解が表示されます。ちがう問題で確認ココをクリックすると問題が再作成されます何回も挑戦してみてください。中学歴史:古墳時代〜奈良時代の定番問題集問題正解「和の五王」のうち「武」は( )天皇と考えられている雄略(天皇)中国(隋)で行われた試験により役人を採用する制度を何という?科挙邪馬台国についての記載がある中国の歴史書は?魏志倭人伝(※1)邪馬台国の女王の名は?卑弥呼(※2)推古天皇の摂政として国づくりを手伝った人物は?厩戸皇子氏姓制度に代わり個人の能力により位をさずけた制度の名は?冠位十二階十七条の憲法には「( )をもって貴しとなす」との記載がある和(※3)中大兄皇子らが蘇我蝦夷・入鹿を滅ぼした戦いの名は?乙巳の変倭(日本)が新羅と唐の連合軍に敗れた戦いはの名は?白村江の戦い中大兄皇子が即位して( )天皇となった天智(天皇)天智天皇が作った日本最初の全国的な戸籍の名称は?庚午年籍大海人皇子と大友皇子による天皇の位をめぐる戦いの名は?壬申の乱(※4)大海人皇子は即位して( )天皇となった天武(天皇)701年に制定されたわが国最初の本格的な法令は?大宝律令平城京は710年に唐の( )にならって作られた長安(※5)6歳以上に田畑を与え、死後に返還させる仕組みを何という?班田収授法米の収穫量の3%を納める税のことを( )という祖各地の特産物を納める税のことを( )という調労役または布で税のことを( )という庸北九州に置かれた外交や防衛を担う機関の名は?大宰府北九州の防衛にあたった兵士のことを何という?防人( )京のときに大宝律令が制定された藤原(京)律令制度において神をまつる役職を( )官という神祇(官)律令制度において左大臣など政治を行う役職を( )官という太政(官)6歳以上の男女に割り当てた田畑を( )という口分田国ごとに国分寺、国分尼寺を建てさせた天皇は?聖武天皇(※6)全国を回り用水路や橋の整備を行った僧は?行基新たに開墾した土地の私有を永遠に認めた法は?墾田永年私財法(※7)伝仁徳天皇陵などカギ穴のような形をした古墳を何という?前方後円墳ヤマト政権時代に中国や朝鮮半島から渡ってきた人々を何という?渡来人(※8)小野妹子など当時の中国にわたり文化を学んだものを何という遣隋使盲目になりながらも来日し仏教を広めた僧は?鑑真現存する世界最古の木造建築物は?法隆寺東大寺正倉院など風通し良く設計された建築物を( )造という校倉(造)天武天皇の時代につくられた日本最古とされるお金は?富本銭わが国最初の仏教文化の名は?飛鳥文化天武天皇から文武天皇のころの文化を( )文化という白鳳(文化)(※9)聖武天皇のころの文化を( )文化という天平(文化)(※10)国の成り立ちを記した2つの歴史書の名は?古事記と日本書紀国ごとの自然や産物などをまとめたものを何という?風土記柿本人麻呂などの歌がおさめられている和歌集は?万葉集わが国最初の漢詩集は?懐風藻農民の貧しい様子がわかる山上憶良の歌は?貧窮問答歌百人一首「天の原 ふりさけみれば…」を作った遣唐使の名は?阿倍仲麻呂鑑真が建てたお寺は?唐招提寺法隆寺にある唐草模様の透かし彫りがある仏教工芸品の名は?玉虫厨子法隆寺にある釈迦三尊像の作者は?鞍作鳥6世紀末に中国全土を統一した国(王朝)は?隋7世紀初めに中国全土を統一した国(王朝)は?唐676年に朝鮮半島を統一した国は?新羅※1…日本(倭)についての記載が初めてあったのは漢書地理志※2…中国の魏から「親魏倭王」の称号をもらっている※3…十七条の憲法は役人としての守るべき心構えなどをまとめたもの※4…天智天皇の弟の大海人皇子側が勝利※5…唐の都の長安は当時人口100万人の大都市だった※6…都には東大寺を建て、大仏をつくらせた※7…私有地の増加を招き、荘園へとつながっていく※8…須恵器をつくる技術などを日本に伝えた※9…高松塚古墳壁画、薬師寺の東塔など※10…東大寺正倉院、唐招提寺金堂など
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  • 中学歴史の定期テスト対策(古墳時代と飛鳥時代)
    古墳時代と飛鳥時代の確認問題中学歴史「古墳時代と飛鳥時代」の重要ポイントです。中学歴史「古墳時代と飛鳥時代」のチェックポイント問題解答邪馬台国や卑弥呼について書かれている中国の歴史書は?魏志倭人伝卑弥呼には魏から( )の称号が授けられた親魏倭王大仙古墳のような形状の古墳を( )という前方後円墳古墳の周りには人や動物などをかたどった( )が置かれたはにわ( )では、役人の採用を世襲ではなく個人の能力により行った冠位十二階の制赤い部分をクリックすると正解が表示されます。問題を入れ替えて再チャレンジココをクリックすると問題が入れ替わります中学歴史「古墳時代と飛鳥時代」のチェックポイント一覧問題解答邪馬台国や卑弥呼について書かれている中国の歴史書は?魏志倭人伝卑弥呼には魏から( )の称号が授けられた親魏倭王大仙古墳のような形状の古墳を( )という前方後円墳古墳の周りには人や動物などをかたどった( )が置かれたはにわ( )では、役人の採用を世襲ではなく個人の能力により行った冠位十二階の制厩戸皇子は( )の摂政として政治を行った推古天皇厩戸皇子は( )で役人の心得を説いた十七条の憲法わが国最初の仏教文化を( )という飛鳥文化厩戸皇子が建てた現存する世界最古の木造建築物は?法隆寺土地や人民を国のものとすることを何というか?公地公民( )らが遣隋使として隋に渡った小野妹子( )で中大兄皇子らが蘇我氏を倒した乙巳の変大化の改新では中大兄皇子と( )が中心となった中臣(藤原)鎌足中大兄皇子は即位して( )天皇となった天智(天皇)大友皇子と大海人皇子による争いを( )という壬申の乱渡来人により朝鮮半島から製法が伝わった硬い土器は?須恵器大化の改新では( )により戸籍をつくり、口分田を割り当てた班田収授法( )の戦いでは百済救済のため朝鮮に出兵した白村江(の戦い)唐にならって701年に( )律令がつくられた大宝(律令)北九州には外交・防衛を担う( )と呼ばれる役所が置かれた大宰府北九州で防衛にあたった兵士を( )という防人古墳時代、飛鳥時代の一問一答集中学歴史「古墳時代と飛鳥時代」の一問一答チェック中学歴史の古墳時代、飛鳥時代のポイントを一問一答形式でチェックできます。問題、選択肢は毎回ランダムに変更されるので、繰り返しチェックしてみてください。問題(1)邪馬台国や卑弥呼について書かれている中国の歴史書は?
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  • 飛鳥文化
    飛鳥文化の特徴とまとめ(中学歴史)
    飛鳥文化は「わが国最初の仏教文化」中学歴史で習う飛鳥文化について定期テストで出題されそうなポイントをまとめています。飛鳥文化の特徴「わが国最初の仏教文化」とは飛鳥文化は、蘇我氏や聖徳太子が活躍していた7世紀ごろの飛鳥時代の文化です。仏教を中心とした文化で、中国大陸や朝鮮半島からの影響がみられます。寺院などの建築物や仏像の制作は渡来人が中心となって行い、ギリシャ文化ともつながる特徴も見られます。テストでは「わが国最初の仏教文化」というフレーズが頻出です。飛鳥文化の時代背景推古天皇が即位した593年から平城京へ遷都した710年までが飛鳥時代で、この時代に栄えたのが飛鳥文化です。593年推古天皇が即位、厩戸王(聖徳太子)が摂政になる603年冠位十二階を制定604年十七条憲法を制定607年小野妹子らが遣隋使として中国に渡る618年隋が滅び、唐がおこる(中国)645年乙巳の変、大化の改新が始まる663年白村江の戦い672年壬申の乱694年藤原京に遷都701年大宝律令が完成飛鳥文化のワンポイントまとめ仏教中心中国大陸、朝鮮半島からの影響ギリシャ文化とも共通点あり日本の歴史で最初に出てくるのが飛鳥文化です。当時は朝鮮半島や中国大陸からの影響を大きく受けていたので、飛鳥文化にもその特徴がみられます。飛鳥文化の代表的作品作品(建造物)特徴飛鳥寺(あすかでら)蘇我氏が建立。法隆寺(ほうりゅうじ)現存する世界最古の木造建築物。聖徳太子が建立。釈迦三尊像(しゃかさんぞんぞう)法隆寺金堂にあるもの。鞍作鳥(くらつくりのとり)が作成。百済観音像(くだらかんのんぞう)法隆寺にある仏像。玉虫厨子(たまむしのずし)法隆寺にある仏教工芸品。高松塚古墳壁画(たかまつづかこふんへきが)鮮やかな色の壁画。飛鳥文化の建築物で覚えておきたいのは法隆寺です。国宝として指定されているだけでなく、日本で最初に世界文化遺産に登録されたものの一つでもあります。この法隆寺にある釈迦三尊像、百済観音像、玉虫厨子は飛鳥文化の代表物として定番です。また、法隆寺は別名で斑鳩寺(いかるがでら)と呼ばれることも覚えておきましょう。対話形式で学ぶ飛鳥文化先生、「飛鳥文化」っていうのがどんな文化だったのか、詳しく知りたいんです。飛鳥文化は、だいたい6世紀末から7世紀中頃にかけて、今の奈良県の飛鳥地方を中心に花開いた文化のことだよ。一言で言うと、「仏教が日本に伝わって、国際的な影響を受けて生まれた、日本で最初の本格的な仏教文化」だと言えるね。日本で最初の仏教文化、ですか!そうなんだ。飛鳥文化の最も大きな特徴は、なんといっても「仏教の伝来とその受容」なんだ。仏教は、538年(または552年)に朝鮮半島の百済から伝わったとされているけれど、この飛鳥時代に、聖徳太子(厩戸皇子)が中心となって、国を挙げて本格的に仏教を受け入れたんだ。聖徳太子!名前は知ってます! 仏教を広めた人なんですね。その通り! 聖徳太子は仏教の教えを政治にも取り入れようと考え、熱心に信仰したんだ。彼が中心となって、日本で初めて本格的な寺院が建てられ始めたのも、この飛鳥文化の時代なんだよ。お寺がたくさん建てられたんですか?うん。例えば、世界最古の木造建築として有名な法隆寺や大阪にある四天王寺などが、この飛鳥文化を代表するお寺だ。これらの寺院は、仏教の教えを広めるための中心となり、その建築様式や、中に安置されている仏像が、飛鳥文化の大きな見どころなんだ。法隆寺って、そんなに古いお寺なんですね!そうだよ。法隆寺の金堂や五重塔は、当時の建築技術の粋を集めたものだ。そして、そこに安置されている仏像、例えば釈迦三尊像(しゃかさんぞんぞう)や百済観音像(くだらかんのんぞう)といった仏像も、飛鳥文化を代表する美術品だね。これらの仏像は、どこか素朴で、でも力強い表情をしているのが特徴だよ。素朴で力強い…見てみたいです!いつか機会があれば、ぜひ実物を見てほしいね。そして、もう一つの大きな特徴は、「中国や朝鮮半島の文化を積極的に取り入れた」という点だ。当時の日本は、中国の隋という国や、朝鮮半島の百済などから、進んだ技術や文化を学ぶために、遣隋使という使節を派遣したんだ。小野妹子(おののいもこ)も遣隋使でしたっけ?その通り、よく知っているね! 小野妹子のような人々が中国へ渡り、仏教の教えはもちろん、建築技術、彫刻の技術、絵画の様式、さらには政治制度や文字など、様々なものを日本に持ち帰ったんだ。じゃあ、飛鳥文化って、中国とか朝鮮半島の文化の影響をたくさん受けているんですか?そうだよ。法隆寺の建築様式や、仏像の表現にも、当時の中国や朝鮮半島の文化の影響が強く見られるんだ。そうやって、日本の文化が初めて国際的な刺激を受け、新しい形を作り始めたのが飛鳥文化なんだ。なるほど! 飛鳥文化は、仏教が初めて日本に入ってきて、聖徳太子が広めてお寺が建てられたり、中国や朝鮮半島から色々なものが伝わって、日本の文化が大きく変わっていった時代なんですね!素晴らしいまとめだね! その理解でバッチリだよ。飛鳥文化は、その後の日本の文化の基礎を築いた、とても重要な時代なんだ。
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  • 中学歴史「古墳時代と飛鳥時代」の一問一答チェック
    古墳時代と飛鳥時代の一問一答中学定期テストレベルの一問一答(古墳時代、飛鳥時代)【問題】【解答】邪馬台国や卑弥呼について書かれている中国の歴史書は?魏志倭人伝役人の採用を世襲ではなく個人の能力により行ったものは?冠位十二階の制聖徳太子(厩戸皇子)は誰の摂政として政治を行ったか?推古天皇遣隋使として隋(中国)に渡った人物は?小野妹子中大兄皇子らが蘇我氏を倒したのは?乙巳の変大友皇子と大海人皇子による争いは?壬申の乱聖徳太子(厩戸皇子)が建てた現存する世界最古の木造建築物は?法隆寺朝鮮半島の南部にあった三国のうち、日本と特に関係が深かった国はどこか?百済仏教を広めようとした、6世紀後半の有力な豪族は誰か?蘇我氏大化の改新の中心人物で、後に天智天皇となったのは誰か?中大兄皇子高校入試レベルの一問一答(古墳時代、飛鳥時代)【問題】【解答】古墳時代の豪族が、血縁集団を中心に構成した政治的な集団を何と呼ぶか?氏(うじ)豪族が与えられた、政治上の地位を示す称号は何か?姓(かばね)大阪府堺市にある、仁徳天皇をまつるとされる古墳の正式名称は?大仙古墳5世紀のヤマト政権の王が、中国に使節を送ったことが記されている中国の歴史書は?『宋書』倭国伝最初に仏教を受け入れた天皇は誰か?欽明天皇小野妹子が遣隋使として派遣された際、隋の皇帝は誰だったか?煬帝飛鳥時代に活躍した仏師で、「飛鳥寺釈迦如来像」を作ったとされる人物は?鞍作鳥大化の改新で発表された、土地と人民を国家が直接支配する方針は?公地公民670年に行われた全国的な戸籍調査を何というか?庚午年籍中大兄皇子が即位して、最初に制定した法令は?近江令中学歴史の一問一答チェック(古墳時代・飛鳥時代)上に掲載した表からランダムに5問が出題されます。問題解答大友皇子と大海人皇子による争いは?壬申の乱聖徳太子(厩戸皇子)が建てた現存する世界最古の木造建築物は?法隆寺土地や人民を国のものとすることを何というか?公地公民渡来人により朝鮮半島から製法が伝わった硬い土器は?須恵器唐にならって701年に作られた律令は?大宝律令赤い部分をクリックすると正解が表示されます。ちがう問題で確認ココをクリックすると問題が入れ替わります何回も挑戦してみてください。中学歴史)古墳時代、飛鳥時代のまとめ古墳時代と飛鳥時代のポイント魏志倭人伝によると、卑弥呼には「親魏倭王」の称号と金印が授けられたとされている。冠位十二階の制は603年、十七条の憲法は604年に成立。聖徳太子(厩戸皇子)は推古天皇の下で蘇我馬子とととも政治を行った。中大兄皇子と中臣鎌足が蘇我氏を倒した戦いが乙巳の変。天智天皇の死後のあとつぎ争いが原因で起こり、勝った大海人皇子が天武天皇となったのが壬申の乱。テストに出るキーワード(古墳時代と飛鳥時代)前方後円墳前が四角、後ろが丸い古墳の形大仙古墳仁徳天皇陵とされる日本最大級の古墳ヤマト政権大和地方を中心に成立した古代国家氏(うじ)豪族たちの血縁集団姓(かばね)豪族の地位や役割を示す称号渡来人朝鮮半島から技術や文化を伝えた人々鉄器文化渡来人が伝えた鉄製品や農具の文化古墳群各地に広がった大小さまざまな古墳埴輪(はにわ)古墳の周りに置かれた素焼きの土製品『宋書』倭国伝倭の五王の中国への使節派遣を記録した書物仏教伝来百済から伝わった仏教文化蘇我氏仏教を支持し、政権を握った豪族物部氏仏教に反対していた豪族聖徳太子推古天皇の摂政、飛鳥時代の中心人物冠位十二階能力や功績によって役人の位を定めた制度十七条の憲法聖徳太子が定めた政治の道徳的指針遣隋使隋に派遣された使節団飛鳥文化仏教や大陸文化の影響を受けた文化大化の改新蘇我氏を倒し、政治改革を行った一連の改革公地公民土地と人民を国家のものとする政策
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  • 聖徳太子(厩戸王)がしたこと一覧
    聖徳太子が政治・外交面でしたこと十七条憲法の制定604年に聖徳太子が制定したのが「十七条の憲法」です。これは役人の心構えを示した憲法で、「和をもって貴しとなす」など協力や調和の重要性が含まれ、仏教や儒教の教えを取り入れていました。また、十七条憲法は日本最初の成文法でもあります。冠位十二階の制定聖徳太子は、家柄に関係なく、能力に応じて役職を与える「冠位十二階」という制度をつくりました(603年)。能力や功績に応じて出世できるようになったことで、優秀な人材が活躍することとなりました。天皇中心の国づくり(中央集権化)聖徳太子は推古天皇の摂政として、権力者や貴族との関係を調整し、天皇中心の国づくりを進めました。また、蘇我氏とも協力しながら、国内の権力争いを抑える政治手腕を発揮しました。こうしたことにより地方の豪族が力を持つことを防ぎ、中央政府の権力を強化しました。遣隋使の派遣隋(当時の中国)との交流を深めるために、「遣隋使」という使節団を送り、文化や技術を学びました。遣隋使の代表的な人物は「小野妹子(おののいもこ)」です。遣隋使の派遣では、「日の出る国の天子」から「日の沈む国の天子」へ手紙を送るという内容で、対等な関係を求めるものでした。聖徳太子が宗教・文化面でしたこと仏教の普及聖徳太子は仏教を重視し、法隆寺(607年)や四天王寺(593年)など多くの寺院を建てました。また、仏教を通して中国や朝鮮の文化や技術を日本に取り入れることも促進しました。仏教の教義とともに漢字を用いたことで、平安時代以降の日本文化の基礎を築きました。 日本最古の仏教寺院「法隆寺」の建立聖徳太子が仏教を広めるために建てた「法隆寺」は、日本で最も古い木造建築であり、世界遺産にも登録されています。この寺院は仏教の教えを広める重要な場所となりました。聖徳太子の時代に栄えた文化は飛鳥文化と呼ばれています(下記参考ページ)。飛鳥文化の特徴とまとめ(中学歴史)中学歴史で習う飛鳥文化の特徴、ポイントをまとめています。「飛鳥寺、法隆寺、釈迦三尊像、百済観音像、高松塚古墳壁画」など。飛鳥文化は、蘇我氏や聖徳太子が活躍していた7世紀ごろの飛鳥時代の文化です。仏教を中心とした文化で、中国大陸や朝鮮半島からの影響がみられます。歴史書の編纂「国記」や「天皇記」といった歴史書を作り、日本の歴史や文化を記録しました。国記は、日本最初の国史書とされるもので、天皇記は皇室の系譜を記したものと推察されています。国記、天皇記とも焼失してしまったため現在は残っていません。まとめ:聖徳太子がしたこと聖徳太子って何した人?先生〜、「聖徳太子って何した人?」ってテストに出るらしいけど、なんか難しそう…。よし、じゃあ今日は“聖徳太子のスゴさ”を会話でバッチリおさえよう!まず、どんなイメージある?えーと…なんか10人の話を一度に聞いた人?それ、よく言われる伝説だけどね。実際にやったことは、政治や外交で日本の国の形をつくる大きな仕事をしたんだよ。へぇ〜。どんな政治をしたの?まず、役人の“くらい”を能力で決める制度「冠位十二階」を作ったんだ。能力で?それまではどうだったの?それまでは、血筋や生まれが重視されてたんだ。でも聖徳太子は、「がんばった人が報われる世の中にしよう」としたんだよ。ほかには?十七条の憲法(じゅうしちじょうのけんぽう)あ、「憲法」って聞いたことある!法律でしょ?今の憲法とはちょっと違うけど、「こういう心がけで政治をしよう」っていうルールみたいなものだね。「和を大切にしよう」とか「仏教を大事にしよう」とか、心のあり方を説いてるよ。あと、外国と関係をもったんだっけ?そうそう!当時、中国で大きな国だった“隋(ずい)”という国に「遣隋使(けんずいし)」を送ったんだ。日本から手紙を送ったって聞いたけど?うん、「日出づる処の天子、書を日没する処の天子にいたす…」っていう文が有名なんだ。中国の皇帝に対して、日本も対等だって主張した内容だよ。えーすごい!めっちゃ自信ある手紙だね。仏教も広めたんだっけ?うん、聖徳太子は仏教をとても大切にして、自分でもたくさんお寺を建てたんだよ。有名なのは「法隆寺(ほうりゅうじ)」!あ、世界最古の木造建築だよね!そう。じゃあ最後にまとめよう。聖徳太子がしたこと、5つ言えるかな?1.冠位十二階で能力重視の政治。2.十七条の憲法をつくった。3.遣隋使を送って中国と外交。4.仏教を広めた。5.法隆寺を建てた!完璧!これで聖徳太子マスターだね!クイズで確認!聖徳太子がしたこと最後に確認用のクイズ問題を作成しました。正解を隠す問題正解聖徳太子が制定した日本最初の成文法は何でしょう?十七条憲法人物の才能や徳によって官位を決める制度を何と言うでしょう?冠位十二階聖徳太子が中国に派遣した使節団の名前は?遣隋使聖徳太子の活躍により発展した文化は何と呼ばれる?飛鳥文化聖徳太子が協力して政治を行った天皇は誰?推古天皇日本で最も古い木造建築は?法隆寺隠れたところはクリックすると再び表示されます。聖徳太子ってホントにいた人?聖徳太子という人はいなかったという説を聞いたことがある人もいるかもしれません。その謎に迫ってみます。「聖徳太子という特定の人物が実在したことは間違いないだろう」と多くの歴史学者は考えています。しかし、私たちがよく知っている「聖徳太子」のイメージ(たとえば、10人の話を同時に聞き分けた、など)は、後から作られた伝説や脚色がかなり含まれていると考えられています。どうしてそう言えるのか、ポイントを3つに分けて説明します。聖徳太子は本名じゃない!私たちが「聖徳太子」と呼んでいるこの名前は、彼が亡くなった後に付けられた呼び名なんです。本名は「厩戸皇子(うまやどのおうじ)」と言います。「聖」:賢くて、徳が高いという意味「徳」:人として立派な行い「太子」:皇太子、つまり天皇の後継者つまり、「聖徳太子」という名前は、「賢くて徳の高い皇太子」という意味で、彼の功績を称えて後世の人が付けたニックネームのようなものだと考えてください。記録に「聖徳太子」という名前は出てこない?当時の正式な歴史書(『日本書紀』など)には、「聖徳太子」という名前は出てきません。代わりに「厩戸皇子」や「上宮太子(じょうぐうたいし)」といった名前で登場します。『日本書紀』:ここに書かれている厩戸皇子の活躍(冠位十二階や十七条憲法を定めたなど)は、後世の人が偉大な人物として描くために、少し大げさに書かれた部分もあると考えられています。お札の人物:私たちが知っている聖徳太子の肖像画(1万円札にもありましたね)は、実際の顔を描いたものではなく、後世の想像で描かれたものだとされています。なぜ伝説が増えていったの?では、なぜ「10人の話を同時に聞き分けた」のような伝説が生まれたのでしょうか?それは、彼が亡くなった後、仏教を広めた偉大な人物として、また天皇を補佐した優秀な政治家として、人々から尊敬され、神様のような存在になっていったからです。偉大な政治家・仏教の教祖として:彼は、仏教を日本に広め、日本をまとめるために「十七条憲法」を作りました。こうした功績があまりにも大きかったため、「こんなすごい人物は、普通の人ではないだろう」と考えられ、次々と伝説が加えられていったのです。ライバルが少なかったから:蘇我氏という豪族が力を持っていた時代で、厩戸皇子はその蘇我氏と協力しながら国を治めていました。しかし、蘇我氏の権力が強くなりすぎたため、後世の人々は、蘇我氏に対抗するような、もう一人の偉大なリーダーとして厩戸皇子(聖徳太子)の存在を大きくしていった、という見方もあります。
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