飛鳥時代の年表とポイント飛鳥時代(前半)の流れヤマト王権の中で中心となって行ったのが蘇我氏。その蘇我馬子とともに政治を行うようになったのが厩戸皇子(聖徳太子)です。冠位十二階の制度や十七条の憲法を制定しただけでなく、遣隋使を派遣して中国の文化も取り入れました。飛鳥時代前半の年表---飛鳥寺ができる593年聖徳太子が摂政に603年冠位十二階の制定604年十七条憲法の制定607年小野妹子ら遣隋使に---法隆寺ができる618年中国で隋が滅び唐がおこる628年唐が中国を統一定期テストでのポイント紛らわしいのは飛鳥寺と法隆寺です。飛鳥寺を立てたのは蘇我馬子で、法隆寺を立てたのが厩戸皇子。どちらもこの時代にできた奈良県にあるお寺です。テストによく出るのは法隆寺のほう。法隆寺は世界最古の木造建築で世界文化遺産にも登録されています。法隆寺の別名「斑鳩寺(いかるがでら)」もあわせて覚えておきましょう。ちなみに、飛鳥寺の別名は法興寺(ほうこうじ)です。飛鳥時代の確認問題次の出来事を起きたのが古い順に並べなさい。(ア) 十七条憲法の制定(イ) 小野妹子が遣隋使となる(ウ) 唐が中国を統一(エ) 冠位十二階の制定飛鳥時代確認問題の答えと解説隋が滅びた後に唐が中国を統一するので、遣隋使→遣唐使の順番になります。答え.(エ)→(ア)→(イ)→(ウ)飛鳥時代後半の流れ中国を統一した唐の力が増したことで、日本にも脅威が迫り、このことから中央集権的な国家を作ろうとする動きが高まりました。蘇我氏をほろぼし天皇を中心とした国家づくりを目指したのが大化の改新です。飛鳥時代後半の年表645年大化の改新(乙巳の変)646年改新の詔→公地公民となる663年白村江の戦い672年壬申の乱676年新羅が統一王朝をつくる701年大宝律令の制定定期テストでのポイント日本と交流がさかんだった百済が唐と新羅に滅ぼされてしまいます。そこで、百済の復興を目指して日本(倭)と唐、新羅の連合軍が戦ったのが白村江の戦いです。これに敗れた日本は唐と新羅の侵攻に備え、九州北部に山城などをきづくと同時に国内の整備を進めることとなりました。飛鳥時代後半の確認問題次の出来事を起きたのが古い順に並べなさい。(ア) 壬申の乱(イ) 白村江の戦い(ウ) 大化の改新(エ) 新羅が統一王朝をつくる確認問題の答えと解説白村江の戦いで日本(倭)を破った新羅が、その後に朝鮮半島を統一することとなります。答え.(ウ)→(イ)→(ア)→(エ)飛鳥時代の年表ポイントチェックポイントを隠す年出来事---飛鳥寺ができる593年聖徳太子が摂政に603年冠位十二階の制定604年十七条憲法の制定607年小野妹子ら遣隋使に---法隆寺ができる618年中国で隋が滅び唐がおこる628年唐が中国を統一645年大化の改新646年改新の詔→公地公民となる663年白村江の戦い672年壬申の乱676年新羅が統一王朝をつくる701年大宝律令の制定隠されたポイントはクリックすると再表示されます。






