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【中学歴史のテーマ別まとめ】外国との条約

中学歴史に出てくる日本と外国との条約について定期テストレベルのものをまとめました。

 

中学歴史年表 外国との条約
時代西暦条約中心人物
江戸時代1854年日米和親条約
1858年日米修好通商条約井伊直弼
明治時代1871年日清修好条規
1876年日朝修好条規
1894年条約改正(治外法権の撤廃)陸奥宗光
1895年下関条約
1905年ポーツマス条約
1911年関税自主権の回復小村寿太郎
昭和時代1945年ポツダム宣言の受諾
1951年サンフランシスコ平和条約吉田茂
1951年日米安全保障条約
1960年日米安全保障条約の改定
1965年日韓基本条約佐藤栄作
1978年日中平和友好条約福田赳夫

 

定期テストでの条約のポイント

日米和親条約は、ペリーが浦賀に来航した翌年に結ばれたもの。この条約により下田函館の2港を開くこととなり鎖国政策が終わりました。

 

日米和親条約の4年後に結ばれたのが日米修好通商条約。貿易開始のために結ばれた条約で、函館、神奈川、長崎、新潟、神戸の5港が開かれることとなりました。

 

また、日米修好通商条約では、外国人が日本で犯罪を起こしても日本では裁けない治外法権が認められ、輸入品に対して日本が自由に関税をかけられないなど不平等なものでした。

 

この条約の治外法権が撤廃されるのは1894年、関税自主権が認められるようになるのは1911年と不平等な内容の撤廃には時間が掛かりました。

 

日本が隣国と結んだのは日清修好条規日朝修好条規
日清修好条規が対等な内容だったのに対し、日朝修好条規は不平等な内容(日本が有利)でした。

 

下関条約ポーツマス条約はともに戦争後の講和会議で結ばれたもの。
下関条約が日清戦争後で、ポーツマス条約が日露戦争後です。

 

どちらも日本が勝利したので、日本にとって有利な内容でしたが、下関条約では巨額の賠償金を得ることが出来たのに対し、ポーツマス条約では賠償金を得られませんでした。

 

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