岩倉具視(いわくらともみ)は明治維新で活躍した公家出身の人物。
中学校の教科書では岩倉使節団などでも登場します。
いまから30年ほど前(1985年)まで流通していた500円札の肖像画にもなっていました。関連する年表をまとめたのでチェックしてみてください。
西暦 | 岩倉具視に関する出来事 | その他の出来事 |
---|---|---|
1825年 | 誕生 | |
1858年 | 朝廷側で日米修好通商条約の勅許を阻止 | 日米修好通商条約(井伊直弼) |
1866年 | 公家として倒幕に加わる | 薩長同盟 |
1871年 | 新政府に右大臣として加わる | 廃藩置県 |
1871年 | 岩倉使節団の全権大使になる | 岩倉使節団が欧米諸国に出発 |
1873年 | 征韓論に反対 | 「征韓論」論争 |
1881年 | 国会開設の勅諭 | |
1883年 | 死去 | |
1889年 | 大日本帝国憲法の発布 |
中学歴史でまず覚えておかなければならないのは岩倉使節団。
これは不平等条約の改正と欧米諸国の政治、社会のしくみを視察する目的で長期間にわたり(1871年から1873年)各国を回ったもの。
全権大使が岩倉具視だったことから、岩倉使節団との名称になっています。
使節団のメンバーには、
など教科書でも出てくる人物がほかにもいました。ちなみに、不平等条約改正の目的はこの使節団では達成できず、日露戦争後にやっと達成することとなります。
岩倉具視は不平等条約(治外法権、関税自主権の放棄)であった日米修好通商条約の締結に朝廷側で反対していたことも興味深いですね。覚えておきましょう。