源頼朝の関連年表と中学歴史での重要ポイント

源頼朝の関連年表と中学歴史での重要ポイント

源頼朝って何をした人?

源頼朝は源平の戦いで平氏を滅ぼし、鎌倉幕府を開いた人物です。
「鎌倉時代の始まり」の人というわけですね。

 

平清盛が政権を手に入れ、平氏中心に政治が行われるようになったきっかけが平治の乱です。この戦いで源頼朝の父の義朝(よしとも)は平清盛に敗れ、まだ幼かった頼朝も伊豆に流されてしまいます。源頼朝が10代、20代のころは平氏の全盛期でもありました。

 

流された伊豆で20年近くを過ごしたのちに源頼朝は平氏打倒の兵をあげます。木曽の源義仲なども兵を挙げ、平氏は1185年に滅びます(壇ノ浦の戦い)。

 

このとき壇ノ浦の戦いなどで活躍したのが源頼朝の弟の義経(よしつね)です。

 

源頼朝の関連年表

西暦 源頼朝に関する出来事 その他の出来事
1147年 誕生  
1159年 父の義朝が平清盛に敗北 平治の乱
1160年 伊豆に流される
1167年 平清盛が太政大臣になる
1177年頃 北条政子と結婚
1180年 平氏打倒の兵を挙げる、富士川の戦い 源平の内乱始まる
1181年 平清盛が亡くなる
1185年 義経に平氏を倒させる 壇ノ浦の戦い、平氏滅亡
1185年 守護・地頭を全国に置く
1189年 奥州藤原氏を滅ぼす(奥州合戦)
1192年 征夷大将軍になる
1199年 死去

 

イイハコ(1185)作ろう鎌倉幕府

少し前までは鎌倉幕府の成立は源頼朝が征夷大将軍となった1192年とされていました。
語呂合わせで1192(イイクニ)作ろう鎌倉幕府といわれてましたね。

 

ところが、最近の研究では鎌倉幕府の成立をほかの年とする説が有力です。
いくつか説がありますが最も有力なのは1185年

 

語呂合わせでは1185(イイハコ)作ろう鎌倉幕府となります。

 

1185年に源頼朝が全国に守護・地頭を置いたことから実質的な支配が及んだとみなして、これを鎌倉幕府の成立とするものです。

 

ただし、ほかにも説があります。
では、何を覚えればいいのかというと、何年に何があったかを覚えておけばOKです。

 

色々な説があるため「鎌倉幕府が成立したのは西暦何年か」という問題が出題されなくなっています。ただし、源頼朝が守護・地頭を全国に置いたのは何年かという問題は出ます。

 

上の年表で出来事を個別に覚えておきましょう。

 

妻の北条政子が承久の乱で活躍

源頼朝に関連する人物として覚えておきたいのは妻の北条政子です。

 

3代将軍の源実朝が暗殺された混乱に生じて、後鳥羽上皇が鎌倉幕府を倒そうと挙兵します(承久の乱)。このとき、武士を鼓舞する北条政子の演説が有名です。

 

承久の乱に勝利したことで、鎌倉幕府の支配は西国にまで及ぶようになりました。

 

源頼朝の関係人物表

源頼朝に関連する人物をまとめました。

名前 よみ 関係 備考
源義朝 よしとも 平治の乱で平清盛に敗れる
源義仲 よしなか いとこ 頼朝と同時期に木曽で平氏打倒の兵を挙げる
源義経 よしつね 一ノ谷の戦い、壇ノ浦の戦いなどで平氏を滅ぼす。頼朝と対立し奥州に逃れる
北条政子 ほうじょうまさこ 承久の乱のときに「頼朝公の…」と武士を鼓舞する演説を行う
源頼家 よりいえ 息子 鎌倉幕府の第2代征夷大将軍。母は北条政子
源実朝 さねとも 息子 鎌倉幕府の第3代征夷大将軍。第2代将軍頼家の弟

源義経は源頼朝の異母弟です。