中学歴史にでる源頼朝の重要ポイントとまとめ
鎌倉幕府を開いたのが源頼朝です。
昔は「イイクニ(1192)つくろう鎌倉幕府」のごろ合わせもあるように幕府の成立は1192年とされていましたが、最近では1185年説などいくつかの説が出ています。
このため教科書でも、そうした記載になっています。また、頼朝の肖像画とされていたものも頼朝を描いたものか定かではなくなってきたために「伝・源頼朝像」などと表記されています。
弟や妻の引き立て役になってしまっている
鎌倉幕府の初代将軍であるにも関わらずイマイチ地味な印象があるのが源頼朝です。その理由は弟と妻のほうが目立ってしまっているから。
頼朝の弟は源義経。妻は北条政子です。
牛若丸とも呼ばれた源義経は弁慶との話などエピソードが豊富。
妻の北条政子も頼朝が亡くなった後で行った演説(「(頼朝の)御恩は山よりも高く、大海よりも深い。」)が有名で、教科書にも出てきます。
身内に「有名人」がいるだけにどうしても影が薄くなってしまいますよね。
ただ、頼朝自身も重要なことを行っています。
源頼朝に関する重要ポイント
平氏を滅ぼした源氏の総大将が源頼朝ですが、実際にいくさで戦っていたのは弟の源義経らです。1185年に壇ノ浦の戦いで平氏を滅ぼしたのも義経です。
源頼朝で覚えておきたいのは、朝廷に対して全国に守護や地頭を置くことを認めさせたこと(1185年)です。このことを持って、鎌倉幕府の成立とする説もあります。
- 守護 … 国ごと置く。御家人の取り締まり、謀反人、殺害人の取り締まり。
- 地頭 … 荘園ごとに置く。年貢の徴収。
1192年には頼朝が征夷大将軍に任命されました。
かつては、このことをもって鎌倉幕府の成立としていました。
源頼朝と関係のある人物
源頼朝と関係のある覚えておきたい人物をまとめました。
源義朝(よしとも)
- 頼朝の父
- 保元の乱(1156年)では平清盛とともに後白河天皇側で勝利
- 平治の乱(1159年)では平清盛に敗れる
源義経
- 頼朝の異母弟
- 幼名は牛若丸
- 壇ノ浦の戦い(1185年)で平氏を滅ぼす
- 頼朝と対立し奥州藤原氏の下へ逃れる
北条政子
- 頼朝の妻
- 尼将軍と呼ばれる
- 頼朝の死後、実権を握る
- 承久の乱のときの演説が有名
源頼朝が答えとなる中学歴史の問題
「源頼朝」が答えとなる問題文をピックアップしてみました。
- 平治の乱の後、伊豆に流されたのは?
- 1185年に守護と地頭を全国に置いた武将は?
- 1192年に征夷大将軍に任命された人物は?
「源頼朝」が答えと間違えてしまいそうな問題はこちら。
- 1185年に壇ノ浦の戦いで平氏を滅ぼしたのは?
答えは源義経です。