

平氏を滅ぼした源氏が鎌倉に幕府を開き、鎌倉時代が始まります。源頼朝が征夷大将軍となり実権を握りますが、頼朝の死後は北条氏が執権として政治を行っていきます(執権政治)。やがて、2度にわたる元の襲来を受けたことが幕府を衰退に向かわせます。
| 1192年 | 源頼朝が征夷大将軍となる |
|---|---|
| 1206年 | チンギス・ハンがモンゴル統一 |
| 1219年 | 源実朝が殺される |
| 1219年 | 北条氏が実権を握る |
| 1221年 | 承久の乱 |
| 1221年 | 幕府が京都に六波羅探題を置く |
| 1224年 | 親鸞が浄土真宗を広める |
| 1227年 | 道元が曹洞宗を伝える |
| 1232年 | 御成敗式目制定 |
| 1253年 | 日蓮が日蓮宗を広める |
| 1274年 | 文永の役(元寇1回目) |
| 1281年 | 弘安の役(元寇2回目) |
| 1297年 | 幕府が徳政令を出す |
出来事の前後関係として覚えておきたいのは、承久の乱→六波羅探題の設置→御成敗式目の制定。元寇(文永の役、弘安の役)→御家人の不満→鎌倉幕府の滅亡です。
鎌倉時代は武士が政治の実権を握った時代ですが、朝廷が政権を取り戻そうとした動きもあります。
それが承久の乱です。
承久の乱は後鳥羽上皇が起こしたものですが、幕府側に敗れ、隠岐に流されてしまいました。
その後、幕府は朝廷の動きを監視するために京都に六波羅探題を置くこととなります。
どちらも鎌倉時代に幕府を倒して、朝廷に権力を取り戻そうとした天皇です。隠岐に流されたのも同じ。承久の乱が失敗に終わった後鳥羽上皇に対し、倒幕に成功した後醍醐天皇は建武の新政を行うことになりました。
次の出来事を起きたのが古い順に並べなさい。

チンギス・ハンが統一したモンゴルは分裂し、その中からフビライ・ハンが都を北京に移し、国号を元とします。この元が二度にわたり日本へ侵攻してくることとなります。
答え.(エ)→(イ)→(ア)→(ウ)
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| 年 | 出来事 |
|---|---|
| 1192年 | 源頼朝が征夷大将軍となる |
| 1206年 | チンギス・ハンがモンゴル統一 |
| 1219年 | 源実朝が殺される |
| 1219年 | 北条氏が実権を握る |
| 1221年 | 承久の乱 |
| 1221年 | 幕府が京都に六波羅探題を置く |
| 1224年 | 親鸞が浄土真宗を広める |
| 1227年 | 道元が曹洞宗を伝える |
| 1232年 | 御成敗式目制定 |
| 1253年 | 日蓮が日蓮宗を広める |
| 1274年 | 文永の役 |
| 1281年 | 弘安の役 |
| 1297年 | 幕府が徳政令を出す |
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