織田信長の年表(中学歴史)

織田信長の関連年表と重要事項

戦国武将に詳しくない人でも「織田信長」のことは知っていると思います。
桶狭間の戦い本能寺の変など象徴的なキーワードも有名ですよね。

 

では、豊臣秀吉や徳川家康とは何歳違いだったのか知っていますか?
織田信長の関連年表でチェックしてみましょう。

 

織田信長の関連年表

西暦織田信長に関する出来事その他の出来事
1534年誕生
1537年豊臣秀吉が誕生(信長と3歳違い)
1543年徳川家康が誕生(信長と9歳違い)
1543年鉄砲の伝来
1549年ザビエルがキリスト教を伝える
1560年桶狭間の戦い
1568年京都に入る
1571年比叡山を焼き討ち
1573年足利義昭を追放室町幕府の滅亡
1575年長篠の戦い
1576年安土城を築く
1582年本能寺の変(自害)

 

織田信長が生まれたのは1534年
すでに応仁の乱は終わり(1477年)、戦国の世になっていた頃です。

 

信長誕生の3年後には豊臣秀吉が、9年後には徳川家康が生まれています。豊臣秀吉(木下藤吉郎)は織田信長の部下として頭角を現しますが、信長とは3歳違いだったというわけです。

 

のちに長篠の戦いで活用する鉄砲が日本に伝わったのは信長がまだ少年だったころ。
キリスト教が伝わったのも、その6年後で織田信長が10代の頃です。

 

桶狭間の戦いで一気にブレイク

織田信長が戦国大名として全国に知れ渡るようになったのは桶狭間の戦いです。
大軍の今川義元を奇襲で討ち取り、名を上げます。

 

いまの言葉で言えば、一気にブレイク。
ただ、信長は単なる一発屋ではありませんでした。

 

楽市・楽座など商工業の発展を図ることで自らも力をつけ、全国統一へ向かっていきます。

 

比叡山の焼き討ちや足利義昭を京都から追放しただけでなく、長篠の戦いでは鉄砲を有効に使って武田騎馬軍を撃破。琵琶湖のほとりに安土城も築きます。

 

本能寺の変で散る

天下統一まであと一歩のところまできていた織田信長でしたが、本能寺の変で家臣の明智光秀に裏切れ自害。天下統一を果たすことなく、この世を去りました。

 

ただ、信長の亡骸を明智光秀に取らせなかったことで、明智光秀は思うように援軍を得られず、豊臣秀吉に敗れることとなってしまいました(山崎の戦い)。

 

明智光秀には天下を取らせないという信長の最後の意地だったのかもしれません。

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