中学歴史での聖武天皇と桓武天皇のポイント

中学歴史での聖武天皇と桓武天皇の重要ポイント

奈良時代の聖武天皇と平安時代の桓武天皇についての中学歴史でのポイントです。
比較しやすいように関連する重要語句を3×3マスのマンダラート風にまとめました。

 

聖武天皇と桓武天皇の重要ポイント

タブ(上についている部分)の「聖武天皇」「桓武天皇」をクリックすると切り替わ絵ります。

 

聖武天皇
桓武天皇

 

鑑真

 

 

仏教政治

 

 

藤原不比等

 

 

東大寺大仏

 

聖武天皇

 

天平文化

 

 

国分寺・国分尼寺

 

 

奈良時代

 

 

正倉院

 

 

長岡京

 

 

平安京遷都
仏教勢力の排除

 

蝦夷との戦い

 

 

藤原種継

 

 

桓武天皇

 

 

坂上田村麻呂

 

 

勘解由使

 

 

平安時代

 

 

アテルイ

 

 

聖武天皇による仏教政治(奈良時代)

都が平城京へ移った710年からが奈良時代になりますが、平城京へ遷都を行ったのは女性天皇の元明天皇(第43代)。聖武天皇(第45代)が即位したのは、そのあとです。

 

当時は国としてどのようにまとまっていくかがひとつのテーマでした。
そこで、聖武天皇が行ったのが仏教による政治

 

国ごとに国分寺国分尼寺を建て、都には東大寺大仏を建立しました。
唐から高僧の鑑真を招いたのも聖武天皇です。

 

各地を回って橋の建築などを行ったのは行基

この時代に全国各地を回って橋の建築などを行ったのは行基です。
鑑真と行基はそもに漢字2文字の僧で紛らわしいので、気をつけましょう。

 

また、聖武天皇の母は藤原不比等の娘・宮子。
藤原不比等は藤原鎌足の子で、藤原氏繁栄の基礎を築いた人物です。

 

聖武天皇のころに栄えたのが天平文化東大寺正倉院などが有名です。

 

桓武天皇による平安京遷都(平安時代)

都が平安京(京都)に移った794年から平安時代が始まりますが、この平安京への遷都を行ったのが桓武天皇です。遷都は平城京→長岡京→平安京とされています。

 

平城京から長岡京への遷都(784年)を行ったのも桓武天皇です。
長岡京の造営中に指揮を執っていた藤原種継が暗殺されたことで平安京へ再遷都しました。

 

平城京(奈良)から遷都したのは政治に口出しするようになってきた仏教勢力を排除するため。
仏教による政治を行おうとした聖武天皇とは反対の動きと覚えておきましょう。

 

桓武天皇は、東北地方の蝦夷との戦いも進めました。
このとき征夷大将軍に任命したのが坂上田村麻呂。蝦夷側のリーダーがアテルイです。

 

勘解由使(かげゆし)とは、国司を監視するために桓武天皇が設けた役職です。
蝦夷制圧とともに地方の引き締めを行ったのが桓武天皇です。

塾や講習での"密"を避ける新しい学び方を身につけよう!

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