中学歴史の定期テスト対策(承久の乱、御成敗式目)
「承久の乱」が答えとなる中学歴史の定期テストレベルの問題
- 後鳥羽上皇が幕府から朝廷に権力を取り戻そうとして起こした戦いは?
- 京都で院政を行っていた後鳥羽上皇が1221年に京都で兵をあげた戦いは?
- この乱の後で幕府が朝廷を監視するために京都に六波羅探題を置くこととなった戦いは?
- 幕府側に敗れた後鳥羽上皇が隠岐に流された戦いは?
- 北条政子が頼朝の名を出して東国の武士に幕府側につくように説得した戦いは?
3代将軍の実朝が暗殺され幕府側が混乱したことで、後鳥羽上皇が幕府から朝廷に権力を取り戻そうと兵をあげたのが承久の乱です。
東国の武士が幕府側についたことで、上皇側は敗れ、後鳥羽上皇は隠岐に島流しとなりました。この後、幕府は朝廷を監視するために京都に六波羅探題を置きました。
答えが「承久の乱」と勘違いしそうな問題
皇位をめぐる争いで敗れた崇徳上皇が讃岐に流された戦いを何と呼ぶか。
→ 【正解】保元の乱。
戦いに敗れた上皇が島流しとなったことが承久の乱と保元の乱は共通しています。
紛らわしいので間違えないようにしましょう。
保元の乱と承久の乱の比較
保元の乱 | 承久の乱 |
---|---|
平安時代 | 鎌倉時代 |
後白河天皇 vs 崇徳上皇 | 北条氏 vs 後鳥羽上皇 |
皇位をめぐる争い | 朝廷に権力を取り戻す戦い |
平清盛など活躍 | 北条泰時、政子など活躍 |
讃岐に島流し | 隠岐に島流し |
この時代の「乱」
ナントカの乱 | 年号 | 時代 | 主役(※1) | 相手側 |
---|---|---|---|---|
保元の乱 | 1156年 | 平安 | 崇徳上皇、藤原頼長 | 後白河天皇、平清盛、源義朝 |
平治の乱 | 1159年 | 平安 | 源義朝 | 平清盛 |
承久の乱 | 1221年 | 鎌倉 | 後鳥羽上皇 | 北条氏(鎌倉幕府) |
- ※1…主役というのは反乱を起こした側。「乱」とつくものは失敗した反乱なので、相手側に敗れています。
参考ページ ⇒ 中学歴史に出てくるナントカの乱一覧
「御成敗式目」が答えとなる中学歴史の定期テストレベルの問題
- 御家人に対して裁判の基準を示したものは?
- 北条泰時が定めたもので別名貞永式目とも呼ばれるものは?
- 日本最初の武家法で、その後の武士の政治のよりどころとなったものは?
御成敗式目は1232年に北条泰時が定めた日本最初の武家法で、御家人同士の争いを公平に裁く基準を定めたものです。