摂関政治とは、摂政や関白として政治の実権を握ることで、平安時代に藤原氏によって行われていました。摂政は天皇が幼いときにつく位で、天皇の成人後は関白となります。
藤原氏は自分の娘を天皇の后にし、その子を天皇とすることで朝廷での地位を築きました。当時は母方の縁が重視されていたので、こうしたことが可能でした。
摂関政治と間違えやすいものとして執権政治があります。執権政治とは室町時代に行われたもので、執権という地位についた北条氏が将軍職に変わって実権を握った政治のやり方です。
摂関政治 | 執権政治 |
---|---|
平安時代 | 室町時代 |
藤原氏による | 北条氏による |
天皇に代わって摂政、関白が実権 | 将軍に代わって執権が実権 |
藤原道長は摂関政治の全盛期の人物で、4人の娘を天皇の后とすることで、摂政として政治の実権を握り続けました。
定期テスト対策としては、全盛期に詠んだ下記の歌も覚えておきましょう。
「この世をば わが世とぞ思ふ もち月の かけたることも なしと思へば」。
西暦 | 藤原道長に関する出来事 | その他の出来事 |
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966年 | 誕生 | |
11C頃 | 源氏物語(紫式部)、枕草子(清少納言) | |
1016年 | 摂政になる | |
1017年 | 太政大臣になる | |
1019年 | 頼道が関白になる | |
1027年 | 死去 |
参考ページ ⇒ 中学歴史の人物年表(藤原道長)