中学歴史をまとめて学ぶ(年表からネット問題集まで)

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  • 平安時代のまとめ年表(中学歴史)
    平安時代の年表とポイント桓武天皇が都を京都の平安京に移してからが平安時代です。朝廷が東北地方にまで勢力を伸ばしたのちに、摂関政治が全盛となっていくのが平安時代前半の特徴です。中学歴史年表(平安時代前半)801年坂上田村麻呂が蝦夷を攻撃866年藤原良房が摂政となる887年藤原基経が関白となる905年古今和歌集894年遣唐使の廃止907年唐がほろぶ935年平将門の乱936年高麗が朝鮮統一939年藤原純友の乱960年宋がおこる1016年藤原道長が摂政となる平安時代(前半)の定期テストでのポイント摂関政治というのは、天皇が幼いときは摂政、成人してからは関白となって政治の実権をふるうことです。これを行ったのが藤原氏で、自分の娘を天皇の后とすることで摂政、関白となりました。また、この頃から地方の反乱(平将門の乱、藤原純友の乱)の中で武士が徐々に力をつけ、政治の中心に進出してくるようになりました。中学歴史年表(平安時代後半)平安時代後半になると摂関政治から天皇中心の政治へ戻そうという動きが出てきます。天皇が上皇、法王となって実権を握る院政の始まりです。ただし、院政の実権を巡る争いも発生(保元の乱、平治の乱)し、ここで力をつけた平氏、源氏の時代になっていきます。1051年前九年の役1052年藤原頼道が平等院鳳凰堂を建てる1069年後三条天皇の荘園整理1083年後三年の役1086年院政が始まる1105年奥州藤原氏が中尊寺を建てる1156年保元の乱1159年平治の乱1167年平清盛が太政大臣となる1167年日宋貿易を始める1180年源平の内乱1185年源頼朝が守護・地頭をおく1185年壇ノ浦の戦い平安時代(後半)の定期テストでのポイントこの時代には2つセットで覚えておきたい戦いがあります。東北地方で起きた反乱で源氏が東国での地位を固めることとなったものが「前九年の役」と「後三年の役」。院政の実権を巡る争いが「保元の乱」と「平治の乱」です。保元の乱…上皇と天皇が対立平治の乱…平氏と源氏が対立保元の乱と平治の乱は結果として武士の存在感を高めることとなり、平氏、源氏が政治の中心となる時代に移りました。平安時代の年表確認問題(1)次の出来事を起きたのが古い順に並べなさい。(ア) 平将門の乱(イ) 藤原純友の乱(ウ) 遣唐使の廃止(エ) 坂上田村麻呂が蝦夷を攻撃平安時代の年表確認問題(2)次の出来事を起きたのが古い順に並べなさい。(ア) 平治の乱(イ) 後三年の役(ウ) 源頼朝が守護・地頭をおく(エ) 平清盛が太政大臣となる年表確認問題(1)の答えと解説時代順に並べると唐が滅んだあとに東で平将門の乱、西で藤原純友の乱がおこっています。答え.(エ)→(ウ)→(ア)→(イ)年表確認問題(2)の答えと解説平治の乱で勝利した平清盛が武士として初めて太政大臣となりました。答え.(イ)→(ア)→(エ)→(ウ)平安時代の年表ポイントチェックポイントを隠す年出来事801年坂上田村麻呂が蝦夷を攻撃866年藤原良房が摂政となる887年藤原基経が関白となる905年古今和歌集894年遣唐使の廃止907年唐がほろぶ935年平将門の乱936年高麗が朝鮮統一939年藤原純友の乱960年宋がおこる1016年藤原道長が摂政となる1051年前九年の役1052年藤原頼道が平等院鳳凰堂を建てる1069年後三条天皇の荘園整理1083年後三年の役1086年院政が始まる1105年奥州藤原氏が中尊寺を建てる1156年保元の乱1159年平治の乱1167年平清盛が太政大臣となる1167年日宋貿易を始める1180年源平の内乱1185年源頼朝が守護・地頭をおく1185年壇ノ浦の戦い隠されたポイントはクリックすると再表示されます。
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  • 中学歴史年表の一問一答チェック(飛鳥、奈良、平安時代)
    飛鳥、奈良、平安時代の年表一問一答飛鳥時代、奈良時代、平安時代に関する中学歴史の年表です。一問一答形式でのチェック問題も作成しているので、定期テスト前などにチェックしてみてください。中学歴史年表(飛鳥、奈良、平安時代)年代出来事関連ポイント589年隋が中国を統一593年聖徳太子が摂政になる推古天皇の摂政となった603年冠位十二階の制定604年十七条の憲法の制定「和をもって貴しとなし」607年小野妹子が遣隋使になる聖徳太子は対等な外交を隋に求めた618年隋がほろび、唐がおこる645年大化改新(乙巳の変)中大兄皇子、中臣鎌足らによる663年白村江の戦い672年壬申の乱大海人皇子と大友皇子の戦い676年新羅が朝鮮半島を統一新羅が百済、高句麗を滅ぼす694年藤原京に都を移す701年大宝律令ができる唐の律令制度にならったもの710年平城京に都を移す唐の都「長安」にならったもの712年古事記ができる720年日本書紀ができる723年三世一身の法ができる743年墾田永年私財法ができる752年東大寺の大仏ができる聖武天皇による784年長岡京に都を移す794年平安京に都を移す桓武天皇による894年遣唐使が停止菅原道真の進言による935年平将門の乱平将門は新皇を名乗る939年藤原純友の乱960年宋が中国でおこる1016年藤原道長が摂政になる摂関政治の全盛期1051年前九年の役1083年後三年の役1086年白河上皇が院政を始める1156年保元の乱1159年平治の乱平清盛と源義朝の戦い1167年平清盛が太政大臣になる1185年平氏が滅びる壇ノ浦の戦い飛鳥、奈良、平安時代の年表一問一答チェック次の出来事が起きた年を答えよ。問題解答問題1答え1問題2答え2問題3答え3問題4答え4問題5答え5赤い部分をクリックすると正解が表示されます。ちがう問題で確認ココをクリックすると問題が再作成されます何回も挑戦してみてください。年表一問一答チェックページ鎌倉、南北朝、室町時代の一問一答鎌倉幕府の成立〜応仁の乱までの鎌倉時代、南北朝時代、室町時代に関する中学歴史年表の一問一答です。年表をチェックしてから、後半の問題に挑戦してみてください。承久の乱,御成敗式目,文永の役,弘安の役,建武の新政の年号は?戦国時代の一問一答戦国時代と世界の動きに関する中学歴史年表の一問一答です。鉄砲伝来やキリスト教の伝来が戦国時代の歴史にも影響を与えています。年表での前後関係など、しっかり覚えておきましょう。コロンブスが西インド諸島に到達,種子島に鉄砲伝来,長篠の戦いなど。江戸時代の一問一答江戸時代に関する中学歴史年表の一問一答です。三大改革(享保の改革、寛政の改革、天保の改革)などの前後関係を覚えておきましょう。禁教令,武家諸法度,参勤交代が定められる,島原・天草の一揆,鎖国が完成,シャクシャインの戦い,正徳の治など。
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  • 中学歴史「平安時代」のネット問題集
    平安時代のオンライン問題平安時代に関する中学歴史の定番問題集です。中学歴史の問題集(平安時代編)問題正解平安京に遷都した天皇は?桓武天皇征夷大将軍に任命され蝦夷と戦った人物は?坂上田村麻呂比叡山延暦寺で天台宗を開いた僧は?最澄成人した天皇を補佐する役職を何という?関白10世紀前半に関東地方で反乱を起こした武士は?平将門赤い部分をクリックすると正解が表示されます。ちがう問題で確認ココをクリックすると問題が再作成されます何回も挑戦してみてください。中学歴史:平安時代の定番問題集問題正解平安京に遷都(※1)した天皇は?桓武天皇征夷大将軍に任命され蝦夷と戦った人物は?坂上田村麻呂(※2)比叡山延暦寺で天台宗を開いた僧は?最澄(※3)高野山金剛峰寺で真言宗を開いた僧は?空海(※3)979年に( )が中国を統一した宋(※4)朝鮮半島では10世紀に新羅が滅び( )がおこった高麗幼少の天皇を補佐する役職を何という?摂政(※5)成人した天皇を補佐する役職を何という?関白(※6)10世紀前半に関東地方で反乱を起こした武士は?平将門(※7)10世紀前半に瀬戸内海で反乱を起こした武士は?藤原純友(※8)11世紀の後半に東北地方で起きた2つの反乱の名称は?前九年・後三年の役遣唐使の中止を進言した人物は?菅原道真摂関政治は藤原( )・頼通父子のころに全盛期を迎えた道長宇治に平等院鳳凰堂を立てた人物は?藤原頼通平安時代に成立した貴族の住宅の建築様式を何という?寝殿造日本の風景や風俗を描いた絵画を何という?大和絵古今和歌集を編纂した人物は?紀貫之(※9)源氏物語の作者は?紫式部枕草子の作者は?清少納言荘園への租税を免除してもらう特権を何という?不輸の権国司などが荘園に入ることを拒否できる権利を何という?不入の権藤原氏に対抗するために白河上皇は( )を行った院政保元の乱では、崇徳上皇と( )天皇が争った後白河平清盛と源義朝が争った乱は?平治の乱武士としてはじめて太政大臣になった人物は?平清盛平清盛が日宋貿易のために整備した港は?大輪田泊(※10)※1…長岡京から平安京(京都)に遷都※2…蝦夷のリーダーはアテルイ※3…最澄は伝教大師、空海は弘法大師と呼ばれる※4…中国では唐→五代十国→宋→元※5…皇族以外で初めて摂政になったのが藤原良房※6…日本で初めて関白の地位に就いたのが藤原基経※7…平将門は「新皇」と名乗る※8…平将門の乱とあわせて「承平天慶の乱」といわれる※9…紀貫之は土佐日記の作者でもある※10…大輪田泊とは現在の神戸港平安時代のポイント京都に都が移ってから鎌倉幕府が成立するまでの約400年間が平安時代藤原氏による摂関政治→武士のおこり→院政→源平の戦いと続く新しい仏教(最澄、空海)や国風文化(かな文字)が生まれる人物…桓武天皇、藤原道長・頼道、平将門、白河天皇、平清盛重要用語…源氏物語、寝殿造、平等院鳳凰堂、荘園、保元の乱、平治の乱、日宋貿易
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  • 中学歴史の定期テスト対策(平安時代)
    平安時代の定期テスト対策中学歴史「平安時代」の重要ポイントです。中学歴史「平安時代」のチェックポイント問題解答794年に京都に( )京がつくられた平安京794年に( )天皇が京都に遷都を行った桓武(天皇)桓武天皇は国司を監視するために( )を置いた勘解由使藤原氏が摂政、関白として実権を握った政治を何と呼ぶか?摂関政治摂政、関白のうち天皇が幼少のときのつく役職はどっち?摂政赤い部分をクリックすると正解が表示されます。問題を入れ替えて再チャレンジココをクリックすると問題が入れ替わります中学歴史「平安時代」のチェックポイント一覧問題解答794年に京都に( )京がつくられた平安京794年に( )天皇が京都に遷都を行った桓武(天皇)桓武天皇は国司を監視するために( )を置いた勘解由使藤原氏が摂政、関白として実権を握った政治を何と呼ぶか?摂関政治摂政、関白のうち天皇が幼少のときのつく役職はどっち?摂政( )は征夷大将軍として東北の蝦夷を制圧した坂上田村麻呂蝦夷側のリーダーとして( )が朝廷側と戦ったアテルイ藤原頼通の父である( )は4人の娘を天皇の后とし政治の実権を握った藤原道長荘園に与えられた税を納めなくてもよい権利を( )という不輸の権荘園に与えられた国司の立ち入りを拒否することができる権利を( )という不入の権10世紀には関東地方で( )の乱が起こった平将門(の乱)10世紀には瀬戸内海で( )の乱が起こった藤原純友(の乱)11世紀後半に東北地方で起きた2つの戦乱は?前九年の役と後三年の役白河天皇が上皇となってから行った政治を何と呼ぶか?院政1156年に起きた( )の乱では、上皇と天皇が対立した保元(の乱)1159年に起きた( )の乱では、平清盛が源義朝を倒した平治(の乱)武士として初めて太政大臣になった人物は?平清盛平清盛は大輪田泊(神戸港)を整備し、( )貿易に力を入れた日宋唐が滅びた後の中国では( )が統一王朝を築いた宋遣唐使の廃止により生まれた日本独自の文化を何と呼ぶか?国風文化( )の建議により遣唐使は廃止された菅原道真源氏物語の作者は?紫式部枕草子の作者は?清少納言庭園を取り入れた貴族の住宅を何と呼ぶか?寝殿造紀貫之らが編集した和歌集は?古今和歌集日本の風景や風俗を描いた絵画を何と呼ぶか?大和絵( )堂は奥州藤原氏が平泉に建てられた中尊寺金色(堂)( )堂は藤原頼通により京都の宇治に建てられた平等院鳳凰(堂)( )は比叡山に延暦寺を建て天台宗を広めた最澄( )は高野山に金剛峰寺を建て真言宗を広めた空海中学歴史「平安時代」の一問一答集中学定期テストレベルのほかに高校入試レベルでも一問一答集を作成しています。中学歴史「平安時代」の一問一答チェック中学歴史で習う平安時代のポイントが一問一答形式でチェックできます。白河天皇が上皇となってから行った政治を何と呼ぶか?武士として初めて太政大臣になった人物は?11世紀後半に東北地方で起きた2つの戦乱は?など。(下記↓のような問題を掲載しています)中学定期テストレベルの一問一答(平安時代編)【問題】【解答】平安時代が始まったのは何年?794年平安京をつくった天皇の名前は?桓武天皇平安京が置かれた現在の都道府県は?京都府藤原氏が行った、天皇の外戚となって政治の実権をにぎる方法は?摂関政治摂関政治の「摂政」とはどんな役職?天皇が幼いときの補佐役(以下省略)(以下省略)高校入試レベルの一問一答(平安時代編)【問題】【解答】征夷大将軍として東北の蝦夷を制圧した人物は?坂上田村麻呂桓武天皇が設けた、地方政治の監督や不正をただす役職は?勘解由使(かげゆし)藤原道長の娘で、一条天皇の中宮となった人物は?彰子(しょうし)国司の権限が強まり、私腹を肥やすようになった国司を何と呼んだ?受領(ずりょう)11世紀後半に東北地方で起きた2つの戦乱は?前九年の役と後三年の役(以下省略)(以下省略)
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  • 国風文化の特徴とまとめ(中学歴史)
    国風文化「ひらがな、カタカナの発明」中学歴史で習う国風文化(平安時代)について定期テストでのポイントをまとめています。国風文化の特徴国風文化は、平安時代の9世紀の終わりごろから栄えたもので、それまでの飛鳥文化や天平文化(奈良時代)が朝鮮半島や中国大陸からの影響を受けていたのに対し、日本独自の発達をしたのが特徴です。代表的なのは、かな文字(ひらがな、カタカナ)の発明です。これにより源氏物語などのすぐれた作品が生み出されました。国風文化のポイント日本独自の発展かな文字(ひらがな、カタカナ)の発明源氏物語、枕草子、竹取物語などの文学作品寝殿造り、大和絵など日本の風景にあわせたものが多い日本独自の文化が発達した背景には遣唐使の廃止(894年)があります。奈良時代には遣唐使を派遣することで唐から学び、天平文化につながりましたが、菅原道真の進言により唐がおとろえたことと航海の危険から遣唐使は廃止されました。こうした中で日本独自の気候やくらしにあった文化が生まれてくることになりました。正装として男子は衣冠・束帯、女子は十二単が用いられました。服装が日本風に変わったのもこの頃です。国風文化の代表作品など作品名特徴源氏物語紫式部による。貴族の生活を題材にした物語。枕草子清少納言による。「春はあけぼの…」の書き出しが有名な随筆。竹取物語かぐや姫の話。日本最古の物語としても知られる。古今和歌集紀貫之が編纂した和歌。土佐日記紀貫之による日記。いずれの作品も「かな文字」により書かれ、紫式部や清少納言など宮中の女性が活躍したことも国風文化の特徴なので覚えておきましょう。また、寝殿造のふすまや屏風には大和絵が描かれ、この大和絵が鳥獣戯画などの絵巻物に発展していきました。鳥獣戯画はウサギやカエルなどが擬人化されて描かれていてマンガの原形ともいわれている作品です。
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  • 中学歴史「平安時代」の一問一答チェック
    平安時代の一問一答集中学定期テストレベルの一問一答(平安時代編)【問題】【解答】平安時代が始まったのは何年?794年平安京をつくった天皇の名前は?桓武天皇平安京が置かれた現在の都道府県は?京都府藤原氏が行った、天皇の外戚となって政治の実権をにぎる方法は?摂関政治摂関政治の「摂政」とはどんな役職?天皇が幼いときの補佐役摂関政治の「関白」とはどんな役職?天皇が成人してからの補佐役平安時代の日本風の文化を何という?国風文化平安時代の末期に台頭した武士の2つの代表的な一族は?源氏・平氏摂関政治の全盛時に4人の娘を天皇の后とし、実権を握った人物は?藤原道長武士として初めて太政大臣になった人物は?平清盛高校入試レベルの一問一答(平安時代編)【問題】【解答】征夷大将軍として東北の蝦夷を制圧した人物は?坂上田村麻呂桓武天皇が設けた、地方政治の監督や不正をただす役職は?勘解由使(かげゆし)藤原道長の娘で、一条天皇の中宮となった人物は?彰子(しょうし)国司の権限が強まり、私腹を肥やすようになった国司を何と呼んだ?受領(ずりょう)11世紀後半に東北地方で起きた2つの戦乱は?前九年の役と後三年の役源氏と平氏がともに天皇家から姓を賜ったときの天皇は?桓武天皇平氏政権時代、清盛が娘を入内させて生まれた天皇は?安徳天皇白河天皇が上皇となってから行った政治を何と呼ぶか?院政上皇と天皇が対立し、1156年に起きた乱は?保元の乱源氏と平氏が対立し、平氏政権ができるきっかけとなった戦乱は?平治の乱中学歴史の一問一答チェック(平安時代編)上に掲載した表からランダムに5問が出題されます。問題正解11世紀後半に東北地方で起きた2つの戦乱は?前九年の役と後三年の役白河天皇が上皇となってから行った政治を何と呼ぶか?院政上皇と天皇が対立し、1156年に起きた乱は?保元の乱源氏と平氏が対立し、平氏政権ができるきっかけとなった戦乱は?平治の乱武士として初めて太政大臣になった人物は?平清盛赤い部分をクリックすると正解が表示されます。ちがう問題で確認ココをクリックすると問題が入れ替わります何回も挑戦してみてください。平安時代に関するテスト対策平安時代に関する出題ポイント794年に桓武天皇が長岡京から平安京に遷都。摂政は幼少の天皇を支える役職、関白は成人した天皇を支える役職。摂関政治の全盛時は藤原道長(父)−頼通(子)のころ。遣唐使を廃止したことで日本独自の国風文化がさかえる。前九年の役と後三年の役を治めたことで源氏が東国で力を持つことになる。保元の乱では、後白河天皇、平清盛、源義朝側が勝利。政界における武士の地位が大きくなったきっかけ。平治の乱では、平清盛が源義朝を討った戦い。源頼朝は伊豆に流される。平清盛は大輪田泊(神戸港)を修築し、日宋貿易に力を入れた。平安時代に関する重要キーワード桓武天皇平安京に遷都し、律令体制を立て直そうとした天皇平安京794年に遷都された都。現在の京都府。坂上田村麻呂初代征夷大将軍。蝦夷の征討で活躍。藤原道長摂関政治を全盛にした人物。「この世をば〜」の和歌で有名藤原頼通道長の子。平等院鳳凰堂を建立。摂関政治藤原氏が天皇の外戚として行った政治方式院政上皇(退位した天皇)が政治を行う体制白河上皇初めて本格的に院政を行った人物保元の乱/平治の乱武士が台頭するきっかけとなった内乱平清盛太政大臣にまで上りつめた武士。日宋貿易を行う。日宋貿易宋と貿易を行い、経済力をつけた平清盛によって推進最澄天台宗を比叡山延暦寺に開く 空海真言宗を高野山金剛峯寺に開く 天台宗最澄が開いた宗派。法華経を中心に教える 真言宗空海が開いた宗派。密教を重視 密教神秘的な儀式(真言・印・曼荼羅)を重視する教え 浄土信仰念仏を唱えて阿弥陀仏にすがることで極楽浄土に往生できると信じる 阿弥陀仏極楽浄土に導いてくれる仏 空也市民に念仏を広めた僧侶 国風文化日本の風土に合った文化。仮名文字、和歌、寝殿造など かな文字(平仮名・片仮名)漢字をもとに日本語を書くために作られた文字 源氏物語紫式部によって書かれた世界最古の長編小説 紫式部『源氏物語』の作者。中宮彰子に仕える 枕草子清少納言による随筆文学。「をかし」の感性 清少納言『枕草子』の作者。中宮定子に仕える 古今和歌集醍醐天皇の命で編まれた和歌集 寝殿造平安時代の貴族の住居形式 平等院鳳凰堂藤原頼通が建てた阿弥陀堂建築の代表例 書道(三筆)嵯峨天皇・空海・橘逸勢など 荘園貴族や寺社の私有地。税を免除された。 国司/受領地方の政治を担う役人/任国に赴任し実権を握る有力国司 武士荘園を守るために成長した武装した地方豪族 源氏・平氏桓武天皇の子孫から出た代表的な武士の家系 前九年の役/後三年の役東北地方で起きた武士団の戦い 源義家前九年・後三年の役で活躍した源氏の武将
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  • 中学歴史「平安時代の文化」の一問一答チェック
    平安時代の文化についての一問一答集【問題】【解答】遣唐使の廃止により生まれた日本独自の文化を何と呼ぶか?国風文化源氏物語の作者は?紫式部枕草子の作者は?清少納言庭園を取り入れた貴族の住宅を何と呼ぶか?寝殿造紀貫之らが編集した和歌集は?古今和歌集平等院鳳凰堂を立てた人物は?藤原頼通日本の風景や風俗を描いた絵画を何と呼ぶか?大和絵奥州藤原氏が平泉に建てたものは?中尊寺金色堂天台宗を広めた僧は?最澄藤原頼通が京都の宇治に建てたものは?平等院鳳凰堂一問一答ランダムチェック上に掲載した表からランダムに5問が出題されます。問題正解平等院鳳凰堂を立てた人物は?藤原頼通日本の風景や風俗を描いた絵画を何と呼ぶか?大和絵奥州藤原氏が平泉に建てたものは?中尊寺金色堂天台宗を広めた僧は?最澄藤原頼通が京都の宇治に建てたものは?平等院鳳凰堂赤い部分をクリックすると正解が表示されます。ちがう問題で確認ココをクリックすると問題が入れ替わります何回も挑戦してみてください。平安時代の文化に関する出題ポイント菅原道真の建議により遣唐使を廃止したことで国風文化が栄える源氏物語(紫式部)、枕草子(清少納言)はいずれも女流文学古今和歌集(紀貫之)が平安時代、新古今和歌集(藤原定家)が鎌倉時代最澄…天台宗(比叡山延暦寺)、空海…真言宗(高野山金剛峰寺)平等院鳳凰堂は阿弥陀如来像(仏師・定朝作)が有名
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  • 平安時代に活躍した人物一覧(中学歴史まとめ)
    中学歴史に出てくる平安時代の重要人物一覧中学歴史で習う平安時代に活躍した人物を一覧表形式でまとめました。桓武天皇かんむてんのう平安京に都を移し、平安時代を開く。坂上田村麻呂さかのうえのたむらまろ征夷大将軍として蝦夷(東北地方)の平定を行った武将。アテルイ阿弖流為・あてるい坂上田村麻呂に抗戦した東北地方(蝦夷)の指導者。藤原良房ふじわらのよしふさ摂政として藤原氏の力を強固にした。藤原基経ふじわらのもとつね関白として藤原氏の政治支配を確立した。藤原道長ふじわらのみちなが摂関政治全盛期の藤原氏。藤原頼通ふじわらのよりみち摂関政治全盛期の藤原氏。道長の子で平等院鳳凰堂を建立。平将門たいらのまさかど関東地方で反乱を起こした武将。「新皇」を自称。藤原純友ふじわらのすみとも瀬戸内海で反乱を起こした海賊。源頼義みなもとのよりよし前九年の役で東北地方の安倍氏を鎮める。源義家みなもとのよしいえ後三年の役で東北地方の清原氏を鎮める。源義朝みなもとのよしとも平治の乱で平清盛に敗れる。平清盛たいらのきよもり武士として初めて太政大臣となり武家政権を築く。源頼朝みなもとのよりとも平氏打倒の源氏の棟梁。鎌倉幕府を開いた最初の将軍。源義経みなもとのよしつね平氏を壇ノ浦で滅ぼす。兄は源頼朝。源義仲みなもとのよしなか平氏追討で活躍した武士。別名、木曽義仲。以仁王もちひとおう平氏打倒の命令を出した皇子(後白河法皇の子)紫式部むらさきしきぶ世界最古の長編小説『源氏物語』の作者。清少納言せいしょうなごん『枕草子』の作者。紀貫之きのつらゆき『古今和歌集』の編纂者。『土佐日記』の作者。定朝じょうちょう平等院鳳凰堂の阿弥陀如来像を作った仏師。彰子しょうし紫式部が仕えた藤原道長の娘で一条天皇の中宮。定子ていし清少納言が仕えた藤原道隆の娘で一条天皇の皇后。空海くうかい真言宗を開いた僧侶。高野山に金剛峯寺(こんごうぶじ)を建立。最澄さいちょう天台宗を開いた僧侶。比叡山に延暦寺を建立。菅原道真すがわらのみちざね遣唐使の廃止を唱えた学者。学問の神様として有名。藤原定家ふじわらのさだいえ『新古今和歌集』の編纂者。平安時代以外に活躍した藤原氏平安時代は藤原氏による摂関政治が長く続いていたため、藤原ナントカという人物が多く活躍していますが、平安時代以外で活躍した藤原氏もいます。こちらも一覧表にしました。藤原鎌足ふじわらのかまたり飛鳥時代藤原氏の祖で大化の改新の立役者。藤原不比等ふじわらのふひと奈良時代鎌足の子で、奈良時代の藤原氏の権力基盤を築いた。藤原広嗣ふじわらのひろつぐ奈良時代九州の大宰府で反乱を起こすが鎮圧される。藤原仲麻呂ふじわらのなかまろ奈良時代道鏡と対立し反乱を起こすが鎮圧される。恵美押勝の乱。奥州藤原氏の重要人物一覧平安時代の末期に東北地方(陸奥)の平泉を中心に勢力をほこっていたのが奥州藤原氏です。4代当主を一覧表にしました。藤原清衡ふじわらのきよひら初代奥州藤原氏平泉を拠点に奥州を支配。中尊寺金色堂を建立。藤原基衡ふじわらのもとひら藤原清衡の子で2代目藤原秀衡ふじわらのひでひら藤原基衡の子で3代目源義経を匿う。藤原泰衡ふじわらのやすひら藤原秀衡の子で4代目源頼朝に敗れて奥州藤原氏が滅亡。平安時代の人物を一問一答でチェック次の説明にあてはまる人物を答えよ。上に掲載した表からランダムに5問が出題されます。説明解答関東地方で反乱を起こした武将。「新皇」を自称平将門瀬戸内海で反乱を起こした海賊藤原純友武士として初めて太政大臣となり武家政権を築く平清盛平氏打倒の源氏の棟梁。鎌倉幕府を開いた最初の将軍源頼朝平氏打倒の命令を出した皇子(後白河法皇の子)以仁王赤い部分をクリックすると正解が表示されます。ちがう問題で確認ココをクリックすると問題が入れ替わります何回も挑戦してみてください。平安時代に活躍した人物史上最強の貴族「藤原道長」藤原道長は、平安時代に天皇の外戚として権力を握った人物です。彼の時代は藤原氏の全盛期で、「この世をば、わが世とぞ思ふ」と詠んだ歌は、その絶大な権力を象徴しています。藤原道長って何した人?藤原道長に関する中学の歴史で習うポイントを年表形式でまとめています。摂関政治の全盛期を迎えたのが藤原道長とその子の藤原頼通の時代です。平安時代の藤原氏の中で最も教科書に出てくることが多いのが道長ですので、ポイントを抑えて覚えておきましょう。武士の時代を切り開いた「平清盛」平清盛は、武士として初めて政治の中心に立ち、貴族社会から武家社会へと時代が移り変わるきっかけを作りました。日宋貿易で財力を築き、平氏の繁栄を築きましたが、その独裁的な政治は源氏との対立を深めました。平清盛って何した人?平清盛に関する中学の歴史で習う重要事項と年表をまとめています。平安時代の末期に武士中心の政治を行ったのが平清盛です。中学歴史では源氏との戦いなど教科書に出てくるトピックが多いので年表とともに整理して覚えましょう。日本仏教をデザインした最強コンビ「空海と最澄」空海と最澄は、日本の仏教の礎を築いた僧侶です。2人は中国で新しい仏教を学び、日本に持ち帰りました。それぞれの宗派は互いに影響を与え合い、日本の仏教文化を形成しました。最澄は天台宗を開き、比叡山延暦寺を拠点に仏教を広めました。空海は真言宗を開き、高野山金剛峯寺を中心に活躍しました。中学歴史「空海と最澄」のポイント中学歴史で出てくる空海と最澄のポイントをまとめました。どっちが真言宗?どっちが延暦寺?と混乱しがちですよね。しっかり覚えておけば得点源にすることができます。空海や最澄が活躍した時代背景を先に説明します。関連記事)平安時代の年表、文化、一問一答平安時代の流れ「坂上田村麻呂が蝦夷を攻撃、藤原良房が摂政となる、遣唐使の廃止、平将門の乱、藤原純友の乱、藤原道長が摂政となる」など定期テストレベルのものをまとめています。中学歴史で習う国風文化のまとめと特徴国風文化は、平安時代の9世紀の終わりごろから栄えたもので、それまでの飛鳥文化や天平文化(奈良時代)が朝鮮半島や中国大陸からの影響を受けていたのに対し、日本独自の発達をしたのが特徴です。中学歴史「平安時代」の一問一答チェック中学歴史で習う平安時代のポイントが一問一答形式でチェックできます。白河天皇が上皇となってから行った政治を何と呼ぶか?武士として初めて太政大臣になった人物は?11世紀後半に東北地方で起きた2つの戦乱は?など。「平安時代の文化」の一問一答チェック中学歴史で習う平安時代(文化)のポイントが一問一答形式でチェックできます。遣唐使の廃止により生まれた日本独自の文化を何と呼ぶか?源氏物語の作者は?藤原頼通が京都の宇治に建てたものは?など。
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  • 中学歴史「空海と最澄」のポイント
    どっちがどっち?空海と最澄中学歴史で出てくる空海と最澄のポイントをまとめました。どっちが真言宗?どっちが延暦寺?と混乱しがちですよね。しっかり覚えておけば得点源にすることができます。空海も最澄も日本人です空海や最澄というのは法名と呼ばれる呼び名で、二人とも日本生まれの日本人です(唐に渡って勉強している)。唐で生まれ、日本に仏教を広めたのは鑑真です。新しい仏教を広めたのが空海と最澄空海や最澄が活躍した時代背景を先に説明します。奈良時代の後半に仏教が政治に入り込んだことで政治が混乱しました(道教の政治など)。そこで、桓武天皇が仏教勢力から政治を切り離すために遷都を行ました。また、旧仏教勢力に対抗する意味から、桓武天皇が空海らの新しい仏教を支持し、世間にも広がっていくことになりました。空海と最澄のちがいここはテスト対策として覚えておきましょう。空海最澄774年〜835年766/767年〜822年真言宗天台宗高野山比叡山金剛峯寺延暦寺弘法大師伝教大師弘法も筆の誤り「弘法も筆の誤り」とは、その道の達人でも失敗することがあるという例え(表現)です。この「弘法」とは弘法大師とよばれた空海のことです。空海は三筆(すぐれた3人の書道家)のひとり(空海のほか嵯峨天皇、橘逸勢)であることから、この表現が生まれました。空海と最澄の関連年表743年墾田永年私財法752年東大寺の大仏が完成764年藤原仲麻呂の乱765年道教が太政大臣になる766年【最澄】生誕774年【空海】生誕781年桓武天皇が即位784年長岡京遷都794年平安京遷都797年坂上田村麻呂が征夷大将軍に任命される〜8世紀後半万葉集ができる802年坂上田村麻呂が胆沢城を築く804年空海と最澄が唐にわたる806年最澄が天台宗を開く806年空海が真言宗を開く858年藤原良房が摂政となる空海と最澄は同じ時期に唐(中国)に渡り、仏教を学んできています。当時、唐への航海は危険がつきもので、同じ時期に唐に向かった4隻の船のうち、2隻は唐にたどり着けませんでした。唐にたどり着いた2隻のそれぞれに乗っていたのが空海と最澄でした。
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  • 藤原道長の関連年表と中学歴史での重要ポイント
    藤原道長(みちなが)って何した人?自分の娘を天皇の后とすることで、天皇が幼いときは摂政として、成人してからは関白として政治の実権を握るのが摂関政治と呼ばれるものです。最初に摂政や関白として権力を握ったのは、藤原良房(よしふさ)、基経(もとつね)親子。しかし、基経が亡くなったあとは、摂政や関白を置かず菅原道真を重用する時代が続きました。そこで、藤原氏が他氏排斥などにより権力を取り戻し、再び摂関政治の時代となったときに現れたのが藤原道長。摂関政治の全盛期を築いたのが藤原道長(とその子の藤原頼通)というわけです。「この世をば わが世とぞ思ふ 望月の 欠けたることも なしと思へば」という道長が詠んだ歌は藤原氏の全盛期を表わしているものとして有名です。藤原道長の関連年表西暦藤原道長に関する出来事その他の出来事966年誕生969年安和の変(藤原氏による他氏排斥)979年宋が中国を統一11C頃源氏物語(紫式部)、枕草子(清少納言)1016年摂政になる後一条天皇即位1017年太政大臣になる1019年出家頼道が関白になる1027年死去道長が誕生したのは平将門の乱、藤原純友の乱のあと。前九年の役(1051〜)、後三年の役(1083〜)は道長が亡くなってからの出来事です。藤原道長が活躍した時代には源氏物語と枕草子も書かれました。教科書などでは国風文化として取り扱われることが多いトピックなので覚えておきましょう。藤原道長と親戚関係にある天皇天皇在位関係一条天皇986〜1011年藤原道長の義理の息子(娘の夫)後一条天皇1016〜1036年藤原道長の孫(娘の子)後朱雀天皇1036〜1045年藤原道長の孫(娘の子)後冷泉天皇1045〜1068年藤原道長の孫(娘の子)藤原道長は三代の天皇の外祖父(母方の祖父)となりますが、道長が生きていたときに天皇だったのは後一条天皇だけです。国風文化がさかえた理由菅原道真が遣唐使の廃止を進言したことで、日本独特の文化である国風文化が発達することとなりました。源氏物語の作者である紫式部は藤原道長の娘である中宮彰子に仕えていました。さらに、源氏物語に出てくる光源氏のモデルが藤原道長だという説もあります。源氏物語…紫式部枕草子…清少納言国風文化についてはコチラのページにまとめています中学歴史で習う国風文化のまとめと特徴国風文化は、平安時代の9世紀の終わりごろから栄えたもので、それまでの飛鳥文化や天平文化(奈良時代)が朝鮮半島や中国大陸からの影響を受けていたのに対し、日本独自の発達をしたのが特徴です。
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  • 平清盛の関連年表と中学歴史での重要ポイント
    平清盛って何をした人?平安時代の末期に武士中心の政治を行ったのが平清盛です。それまでは天皇、貴族が政治を行っていましたが、武士政権を最初に樹立したのが平清盛と言うわけです。平清盛の関連年表西暦平清盛に関する出来事その他の出来事1118年誕生1156年後白河天皇側で活躍保元の乱1159年源義朝を滅ぼす平治の乱1167年太政大臣になる1168年出家1180年源頼朝が挙兵、源平の内乱(〜85年)1181年病死1185年壇ノ浦の戦い壇ノ浦の戦いで平家が滅亡したのは平清盛が亡くなってからです。平清盛と言えば、「保元の乱」「平治の乱」平清盛が生まれたのは平安時代の1118年。藤原氏による摂関政治に代わり、白河上皇らによる院政が始まった少しあとの時代です。この頃から全国各地の武士が力をつけてきました。そうした中で院政の実権をめぐる争いが起きます。それが保元の乱と平治の乱です。ここで活躍したことで平清盛が政治の中心に出てきます。清盛は自分の娘を天皇の后とすることで、より強大な権力を握ります。自分の娘を天皇の后にするというのは藤原氏が行っていたのと同じですね。一族にあまりに権力が集中したことで反感を買うことになったのも同じです。藤原氏ちがいは藤原氏が貴族だったのに対し、平氏は武士であったこと。平清盛は日本の歴史で初めて政治の実権を握った武士でもあるのです。平治の乱で源義朝を滅ぼしましたが、義朝の子である頼朝を逃した(伊豆に流した)ことで、やがて頼朝率いる源氏に滅ぼされることとなってしまいました。保元の乱と平治の乱の比較保元の乱平治の乱1156年1159年後白河天皇 vs 崇徳上皇平清盛 vs 源義朝平清盛と源義朝はともに後白河天皇側で貢献義朝の子の頼朝は伊豆へ平家にあらずんば人にあらず平家の全盛を表す言葉として「平家にあらずんば人にあらず(平家の人間以外は人とみなされないといった意味)」という言葉が有名ですが、これは平清盛が言ったものではありません。平時忠(ときただ)という平清盛の妻の弟が言ったとされています。平清盛による日宋貿易平清盛で覚えておきたいことには日宋貿易に力を入れたことです。大輪田泊(現在の神戸市)に港を整備したのが清盛です。宋からの輸入品…絹織物、陶器、宋銭宋への輸出品…金、刀剣、扇日明貿易は足利義満中国との貿易ということでは中学の歴史では日明貿易も出てきますが、こちらは室町時代の足利義満が力を入れたもの。別名で勘合貿易とも呼ばれます。間違えないようにしましょう。日宋貿易 … 平清盛(平安時代)日明貿易 … 足利義満(室町時代)、別名で勘合貿易とも呼ばれる。源平の戦いへ権力を握った平清盛が後白河法皇を幽閉し、独裁的な政治を行うようになったことで貴族や地方の武士たちの間で平氏に対する不満が高まりました。こうした中で後白河法皇の子の以仁王(もちひとおう)が平氏打倒を呼びかけ、源頼朝や源義仲が挙兵し、源平の戦いへとつながりました。大河ドラマにもなっている平清盛平清盛はNHK大河ドラマにもなっていて、2012年に松山ケンイチさんが主演を務めています。
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