徳川家康の関連年表と中学歴史での重要ポイント

徳川家康の関連年表と中学歴史での重要ポイント

徳川家康って何した人?

織田信長、豊臣秀吉のあとに天下統一を果たし江戸幕府を開いたのが徳川家康です。

 

歴史がニガテな人でも家康の名前ぐらいは知っていると思います。そこで、ここでは徳川家康を中心とした年表で江戸時代初期のポイントを整理してみました。

 

徳川家康の関連年表

西暦 徳川家康に関する出来事 その他の出来事
1542年 誕生  
1582年 本能寺の変(織田信長自害)
1598年 豊臣秀吉が病死
1600年 石田光成らを破る 関ヶ原の戦い
1603年 征夷大将軍となる 江戸に幕府が開かれる
1605年 秀忠に2代将軍をゆずる
1614年 大坂冬の陣
1615年 大坂夏の陣、武家諸法度
1616年 死去

 

徳川家康は織田信長、豊臣秀吉より年下

徳川家康が誕生したのは1542年。

 

この年の8年前に織田信長が、6年前には豊臣秀吉が誕生しています。
家康は3人の中で一番年下ということになります。

 

この2人の後を受けて、天下を統一し、江戸幕府を開いたのが徳川家康です。
ポイントとなるのは、豊臣秀吉が病死した2年後に行われた関ヶ原の戦い

 

東軍を率いた徳川家康が、西軍の石田光成らを破りました。
ただ、関ヶ原の戦いの後も豊臣家は一定の影響力を持っていました。

 

そこで、家康は今後は徳川家が将軍となっていくことをアピールするために、わずか2年で将軍職を息子の秀忠にゆずります。ただし、実権は家康が握っていました。

 

その後、大坂冬の陣、夏の陣で豊臣家を滅ぼし、江戸幕府を盤石のものとしました。。

 

織田信長、豊臣秀吉と徳川家康の比較

徳川家康と関連して出題されることが多い人物が織田信長と豊臣秀吉です。
それぞれに関連する用語をまとめました。

 

織田信長 豊臣秀吉 徳川家康
安土城 大阪城 江戸城
楽市・楽座 太閤検地、刀狩 武家諸法度
桶狭間の戦い、本能寺の変 文禄の役、慶長の役 関ヶ原の戦い、大坂冬・夏の陣

 

家康が力を入れたのは朱印船貿易

徳川家康は外国との貿易にも力を入れました。外国への渡航を許可する朱印状を与えて貿易を行ったことから、朱印船貿易と呼ばれます。

 

足利義満が行った勘合貿易と紛らわしいので間違えないようにしましょう。
中学歴史で出てくるナントカ貿易一覧。

  • 日宋貿易 …… 平清盛(平安時代)
  • 日明貿易 …… 足利義満(室町時代)、別名で勘合貿易とも呼ばれる。
  • 朱印船貿易 … 徳川家康(室町時代)、朱印状を用いる。