享保の改革や目安箱の設置を行ったのが徳川吉宗。
徳川第8代将軍で米将軍とも呼ばれ、テレビドラマ「暴れん坊将軍」のモデルになった人物です。
西暦 | 徳川吉宗に関する出来事 | その他の出来事 |
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1684年 | 誕生 | |
1685年 | 生類憐みの令 | |
1688年 | イギリス名誉革命 | |
1692年 | 世間胸算用(井原西鶴) | |
1703年 | 曽根崎心中(近松門左衛門) | |
1705年 | 紀州徳川家藩主になる | |
1716年 | 徳川第8代将軍となる | 享保の改革を始める |
1721年 | 目安箱を設置 | |
1722年 | 小石川養生所を設置、上米の制を実施 | |
1723年 | 足高の制を定める | |
1732年 | 享保の大飢饉 | |
1742年 | 公事方御定書を制定 | |
1751年 | 死去 |
8代将軍となった徳川吉宗は幕府の財政を立て直すことなどを目的に様々な改革を行いました。
これを享保の改革と呼びます。
享保の改革は江戸三大改革のひとつで、最初に行われた改革です。
ほかの2つとあわせて整理すると次のようになります。
享保の改革 | 徳川吉宗 | 18世紀はじめ |
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寛政の改革 | 松平定信 | 18世紀おわり |
天保の改革 | 水野忠邦 | 19世紀半ば |
関連事項を歴史順に並べると、綱吉の政治→正徳の治(新井白石)→享保の改革→田沼意次の政治→寛政の改革→大塩の乱→天保の改革となります。
享保の改革の内容はいくつかありますが、その一つが上米の制。
大名1万石につき100石の米を幕府に献上させました。
その代わりに大名が参勤交代で江戸にいる期間を短くすることで、大名の負担を軽減させました。また、新田開発も奨励しています。
さらに、庶民から意見を聞くために設置したのが目安箱。
人々の意見を広く取り入れることで改革をすすめました。
公事方御定書は、裁判の基準となる法令集のようなものです。
これを制定したのも吉宗が将軍のときになります。
飢饉への対策として、青木昆陽による「さつまいも」の栽培をすすめたのも吉宗です。
あわせて覚えておきましょう。
徳川吉宗が将軍のときに起きた享保の大飢饉は江戸時代の四大飢饉のひとつです。四大飢饉とは、発生順に寛永の大飢饉、享保の大飢饉、天明の大飢饉、天保の大飢饉。
目安箱で採用されたものに「小石川養生所の設置」があります。