「鳴かぬなら鳴くまで待とうホトトギス」と詠われたのが徳川家康です。織田信長、豊臣秀吉に続いて登場し、天下を統一して江戸に幕府を開きました。
1603年に征夷大将軍に任命されますが、家康が将軍職に就いていたのはわずか2年あまり。1605年には息子の秀忠に将軍職をゆずりますが、実権は握り続けていました。
いずれも徳川家康ではありません。
(1)(2)は2代将軍秀忠、(3)は三代将軍家光が正解です。
大阪の陣は家康が指揮していたものですが、将軍職はすでに秀忠にゆずっていました。
西暦 | 徳川家康に関する出来事 | その他の出来事 |
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1542年 | 誕生 | |
1582年 | 本能寺の変(織田信長自害) | |
1598年 | 豊臣秀吉が病死 | |
1600年 | 石田光成らを破る | 関ヶ原の戦い |
1603年 | 征夷大将軍となる | 江戸に幕府が開かれる |
1605年 | 秀忠に2代将軍をゆずる | |
1614年 | 大坂冬の陣 | |
1615年 | 大坂夏の陣、武家諸法度 | |
1616年 | 死去 |
参勤交代は幕府が大名が力をつけるのを抑えるために導入された制度です。大名は1年おきに江戸と国元に住まなければならず、江戸の住まいなどの生活費や大名行列で出費を強いられました。
参勤交代が武家諸法度で制度化されたのは1635年で、3代将軍家光のときだったことも覚えておきましょう。定期テストでは家康のときと思わせる引っかけ問題に注意です。