日本と清(中国)のあいだで1894年に起きたのが日清戦争です。きっかけは朝鮮半島での甲午農民戦争。
甲午農民戦争とは、朝鮮半島で外国人(日本人や欧米人)の排斥を目指す農民の反乱のこと。東学とうい民間信仰を信じる人と農民が中心となって起こしたものです。
この反乱を抑えるために朝鮮政府は清に出兵を求めます。日本は清とのあいだで朝鮮に出兵する場合はおたがいに通知しあうという天津条約を結んでいたことから、日本も出兵します。
朝鮮をめぐって日本と清が相対し、日清戦争がはじまりました。
結果は日本の勝利。
日本は清から賠償金を得ると同時に、遼東半島、台湾などを獲得し、清に朝鮮の独立も認めさせました(下関条約)。
ただし、遼東半島についてはのちにロシア、ドイツ、フランスの圧力により清に変換することとなりました(三国干渉)。
朝鮮で外国人排斥運動(甲午農民戦争)が起きたのと同様に、清(中国)でも外国人(日本人や欧米人)排斥の運動が起こります。中心となったのが義和団という団体であったことから義和団事件と呼ばれます。
義和団事件は日本やロシアなどの連合軍が鎮圧しましたが、この後に満州(中国東北部)や朝鮮をめぐって日本とロシアの対立が深まります。これが日露戦争のきっかけ。
日露戦争は日清戦争と比べて大規模な戦争となり、死傷者も多くなりました。結果はロシア国内で革命が起きたこともあり、日本の勝利。
ただし、日清戦争のときのように賠償金が得られなかったことで国内で暴動が発生しました(日比谷焼き打ち事件)。
1894年 | 甲午農民戦争 |
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日清戦争 | |
1895年 | 下関条約 |
三国干渉 | |
1900年 | 義和団事件 |
1902年 | 日英同盟 |
1904年 | 日露戦争 |
1905年 | ポーツマス条約 |