足利尊氏の重要ポイントとまとめ
鎌倉幕府を滅ぼし、室町幕府を開いたのが足利尊氏です。
幕府を開いたほかの将軍、徳川家康(江戸幕府)と源頼朝(鎌倉幕府)に比べると地味な印象があるかもしれません。尊氏は「たかうじ」と読みます。
尊氏の「氏」は田中氏、佐藤氏といったような敬称ではないので勘違いしないようにしましょう。たまに、足利尊が名前だと思っている人がいます。間違いです。
足利尊氏に関する重要ポイント
鎌倉幕府を滅ぼしたのが足利尊氏ですが、最初は幕府側の人間でした。京都周辺の反幕府勢力の鎮圧に幕府軍を率いて向かったのが尊氏です。
ところが、相手側(反幕府勢力)の後醍醐天皇と手を結び、反幕府軍に加わります。そのまま、六波羅探題を滅ぼすこととなります。
六波羅探題というのは、朝廷や西国を監視する京都にある鎌倉幕府の機構です。これとほぼ同時に新田義貞が鎌倉を攻め落としたことで鎌倉幕府は滅亡しました(1333年)。
カン違いポイント
鎌倉を攻め落としたのは足利尊氏ではなく新田義貞です。
尊氏は京都の六波羅探題を攻め落としました。
足利尊氏と関係のある人物
後醍醐天皇
足利尊氏と関係が深い人物と言えば後醍醐天皇です。
味方として手を組んだり、敵として戦ったりしています。
- 倒幕計画が失敗して隠岐に流される
- 足利尊氏、新田義貞とともに鎌倉幕府を滅ぼす(1333年)
- 天皇中心の政治「建武の新政」を行う
- 建武の新政に武士の不満が高まり、足利尊氏に挙兵される
- 吉野で南朝を開く(足利尊氏は京都の北朝く)
足利義満
足利尊氏の孫にあたるのが3代将軍の足利義満です。
足利義満が行ったことを尊氏が行ったことと勘違いしないようにしましょう。
- 南北朝の合一に成功
- 「花の御所」と呼ばれる邸宅で政治を行う
- 金閣寺を建立
- 中国の明に対して「日本国王」と名乗る
- 日明貿易(勘合貿易)に力を入れる
足利尊氏が答えとなる中学歴史の問題
「足利尊氏」が答えとなる問題文をピックアップしてみました。
- 京都の六波羅探題を攻め落とし、鎌倉幕府を滅ぼした御家人は?
- 後醍醐天皇に代わり光明天皇を京都で立てた人物は?
- 1338年に征夷大将軍となり、京都に幕府を開いた人物は?
足利尊氏がテストで出るのはこのあたりです。覚えておきましょう。